城データ

城名:山根城

別名:無し

標高:140m

比高:74m

築城年:戦国時代か

城主:荒川氏(日本城郭大系に記載)

場所:広島市安佐北区可部町下町屋

北緯:東経:34.542878/132.522954

山根城はここ

 

攻城記

攻城開始

高松山城も見える立地。

トンネルをくぐる。

この上が城域っぽい。

進んでいく。

どうもこの上っぽいので直登開始。

麓を見下ろす。

山頂はまだある。

この上がが本丸。

本丸に到着。

平坦地であるが特段加工されている感じはない。

尾根筋を進む。

遺構は確認出来ず。

本丸に戻る。

下山開始。

この辺りも城域なのだろうか?

山根城遠景。

 

位置関係

 

open-hinataより【山根城】

特段遺構も確認出来なかった。

 

余湖図【山根城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

『芸藩通志』【山根城】

 

城の概要

本城跡の下で根ノ谷川と桐原川が合流している。

 

最高所の1郭から南東に延びる支尾根上に一つの郭、その下方に少し離れた地点に小郭を配し、丘陵縁辺付近に三つの郭を配している。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

城の歴史

詳細不明。

『芸藩通志』には「観音寺山 宇禰能上 雨乞山 山根 門田山 王子城 並に同村にあり、共に主名を傳へず、おもふに、皆熊谷氏の属城なるべし、以下城名のみ挙るは、主名を失ふなり、」とある。

 

城主の荒川氏

『陰徳太平記』に熊谷直続家臣に荒川氏がいたようだ。

 

熊谷平三直続戦死之事

同六月七日熊谷平三直続、二百余騎にて赤穴の在家を放 火する所に、城中より是を防がんとて、足軽を出し混々と取結て、矢軍しける其隙に、赤穴右京亮(光清)、田中三郎左衛 門、一千余騎打て出、熊容か後を遮り前に進んで討んとす。

 

中略

 

今ははや、荒川与三と主従二人に成たりけり、され共猶暫しは田中なる細路 を前へに当て懸つ、返しつ戦けるか、所々より射ける矢 に薄手重手数ヶ所負。ける間、終に主従二人向かふ敵に走りかかり刺し違へてそ失せにける

 

 

所感

●CS立体図でも遺構は確認出来なかったが、現地に行ってもやはり確認出来なかった。

 

●山頂には平坦地もあり、見張り砦としての役割なら果たせたかもしれない。

 

●城主の荒川氏は不明、安佐北区に荒川氏が20世帯位あるが、何か知っていないか気になる。

 

 

関連URL

【広島県】三遍山城【広島市安佐北区可部町大林】

対面の城

 

参考URL

ひろしま昔探検ネット(山根城)

城郭放浪記(山根城)

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

 

 

公開日2024/04/20

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