城データ
城名:王子城
別名:無し
標高:232m
比高:160m
築城年:不明
城主:池田太郎兵衛か
場所:広島県広島市安佐北区可部町下町屋
北緯:東経:34.541901/132.539597
攻城記
三遍山城の尾根筋から進む。
直登して尾根に取り付く(ここはまだ城域ではない)
城域ではないが、広い削平地っぽいものが広がる。
このシダを登れば曲輪に着く。
上に行くと更に厳しいシダ。
やっと曲輪に到着。
謎の凹み。
本丸方面に進んでいく。
曲輪といえば曲輪。
あまり加工はされていない。
やっと本丸に到着。
本丸の曲輪。
本丸付近は綺麗な状態で保たれている。
本丸から一段下がった場所。
見晴らしは良い。
位置関係
open-hinataより【王子城】
余湖図【王子城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【王子城】
城の概要
本城跡は、根ノ谷川東岸の押手山から西へ延びる丘陵上に位置し、三入庄のほぼ中間点に当たる。
最高所の1郭と、その南及び北東へ延びる尾根上にそれぞれ一つの郭を配すのみの簡単な構造である。
立地・構造から見て、北の伊勢ヶ坪城と南の高松城との連絡の城としても機能が考えられられる。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明、熊谷氏の支城として機能していたものと考えらる、立地から伊勢ヶ坪~三遍山城~王子城~雨乞城~新宮城~高松城として連絡城として使用か。
所感
●本丸付近は削平地も広くあり、駐屯するには問題ない。
●堀切や畝状竪堀などもない。
●赤色立体地図を確認してもここに城が本当にあったのか疑問がのこる。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/01/14