城データ

城名:宇祢能城(うねのじょう)

別名:宇祢能上城

標高:195m

比高:136m

築城年:戦国時代か

城主:熊谷氏縁の人物

場所:広島県広島市安佐北区可部町下町屋

北緯:東経:34.538859/132.518939

宇祢能城はここ

 

攻城記

観音寺山城を北に進む。

ただしこのままいくと到達できない。

画面にある杭を右に進む。

この杭を右折して下っていく。

別の尾根筋に進んでいく。

尾根筋を進む。

高松山城。

本丸に到着。

本丸下段部分。

本丸部分を見上げる。

再度本丸部分へ。

横堀。

なんでここに横堀があるのか不明。

特徴的な横堀。

周囲を散策するも特段何もない。

 

位置関係

 

open-hinataより【宇祢能城】

本丸部分だけなら単郭に見えるが、尾根筋部分にも兵が駐屯出来ると考えると大きな城にも見えないこともない。

 

余湖図【宇祢能城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

『芸藩通志』【宇祢能城】

 

城の概要

本城跡は、根ノ谷川と南原川とに挟まれた丘陵上にある。

 

1郭の西から南には1郭を取り巻くように三つの郭を設けており、1郭東側は相互に直交する竪堀を隔てて一つの郭を置いている。

 

1郭は二段からなっている。

 

本城跡は、西側尾根続きに観音寺山城跡が位置し、根ノ谷川を隔てて東南に新宮城跡、雨乞城跡を見下ろす地点にある。

 

城郭の構造は弱く、特に北側に対しては郭も置いていないこともあって、中継・連絡用の城として築かれたものと考えられる。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

城の歴史

詳細不明

『芸藩通志』には「観音寺山 宇禰能上 雨乞山 山根 門田山 王子城 並に同村にあり、共に主名を傳へず、おもふに、皆熊谷氏の属城なるべし、以下城名のみ挙るは、主名を失ふなり、」とある。

 

連絡用の砦としての役割だと思われる。

 

所感

●城としては単郭であるが、なぜか一部分に横堀がある。

 

●高松山城、観音寺山城との連携が考えられるが、新宮城の正面にも位置している。

 

●このまま山道を下ろうと考えたが道がなく断念、観音寺山城まで戻って下山。

 

関連URL

【広島県】観音寺山城【広島市安佐北区可部町下町屋】

 

参考URL

ひろしま昔探検ネット(宇祢能城)

城郭放浪記(宇祢能城)

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

 

 

公開日2024/04/20

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