城データ
城名:岡城
別名:岡ノ城
標高:250m
比高:15m
築城年:戦国時代か
城主:岡主殿(おかとのも)
場所:広島県東広島市志和町志和西
北緯:東経:34.488095/132.653410
攻城記
本丸跡。
今は神社がある。
現在はなにも残っていない。
奥の部分も城域であったか?
生城山城へもすぐにいける距離。
長松寺は以前は岡城の近くにあったらしい。
古い五輪塔と宝篋印塔。
位置関係
open-hinataより【岡城】
更地になったことが分かる。
1960年代当時の航空写真
尾根の先端に城があったことが分かる。
現在の航空写真
余湖図【在りし日の岡城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【岡ノ城】
城の概要
北側の1郭は神社建設,そこから西に延びる尾根は畑の開墾による破壊がみられる。
1郭の南は堀切状の鞍部を挾んでピークに2郭を配する。2郭と南の鞍部との比高は2mと低い。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
岡城
志和西善正谷にある。善正谷は余り研究されていないが、多くの古代・中世の遺跡があり、 今後研究調査をする必要がある。
現在の長松寺はこの谷にあったという。
岡城はその善正谷の出口の右側の低い丘がそれである。
城主は岡主殿と伝えている。善正谷のすぐ上は生城山であり、そうした意味から善正谷はその防備のためにも大切な谷である。
そのための岡城であったろう。頂上は平担で天神社がある。
この宮は善正谷のさらに奥にあったものをここに遷座したのだという。
『賀茂郡史』-中世武士編-より引用
城の歴史
●詳細不明。
城主が天野氏の庶流である岡氏らしいので、一族を重要なところに配置したのかもしれない。
●生城山まではここから1時間位登らないと到達できない位比高の高い城。
●街道方面もよく見えるため、監視の為の城としての機能も有していた可能性もある。
所感
●岡氏は天野氏の庶族で直系子孫は防府市右田で岡本姓を称しているらしい。賀茂郡古城史より
●城自体は平成12年防災事業により発掘調査、消滅したため何も残っていない。
●当時の面影は何もないが、尾根先であったことが確認出来る。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
『賀茂郡史』-中世武士編-
公開日2024/04/29