城データ
城名:鬼が丸城
別名:無し
標高:410m
比高:110m
築城年:天文20年(1551)
城主:毛利隆元
場所:広島県東広島市八本松町吉川
北緯:東経:34.397063/132.649306
攻城記
槌山城方面からみた鬼が丸城。
分岐点を左にいく。
進んでいく。
これがまたきつい登りになる。
本丸に到着。
曲輪は単郭。
槌山城が正面にみえる。
毛利隆元がここに陣を立てて攻めた。
ここら辺も若干削平地がある。
位置関係
open-hinataより【鬼が丸城】
余湖図【鬼が丸城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
北に下る丘陵の先端に位置する。
最高所の郭は約15×10mで,その周囲に小郭がある。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
鬼が丸城
吉川槌山城の西方熊野跡(広島市阿戸町)の境いにある山で、槌山城の前塁的なものであったと思われる。
天文二十年の槌山城合戦の際、毛利隆元の本陣が一早く占拠して、槌山城攻撃の指揮所としたところである。
『賀茂郡史』-中世武士編-より引用。
城の歴史
天文20年(1551)に大寧寺の変で大内義隆を弑逆した陶晴賢は安芸国守護山だった槌山城を毛利氏に攻めるように命じる。
その過程で槌山城の対面にあるこの鬼が丸城を向城として毛利隆元が占拠しいぇ本陣としたらしい。
所感
●城は単郭(正確には小さな曲輪はある)でどの位の兵が駐屯できるか不明。
●槌山城は堅固な城であり、吉川勢も東から攻めたが思うようにいかなかったようだ。
●毛利隆元も対面に向城をつくり牽制したものと考えられる。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『賀茂郡史』-中世武士編-
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/04/27