城データ
城名:市山城
別名:無し
標高:256m
比高:80m
築城年:戦国時代か
城主:不明(横山氏か)
場所:広島県広島市安佐北区安佐町鈴張
北緯:東経:34.581278/132.453670
攻城記
この祠が目印。
ここを進む。
鳥居あり。
横山神社とある。
横山は地名ではないので、城主の横山氏ではないか。
横山氏を祀った神社か。
攻城開始。
眺望もよい。
道は整備されている。
非常に登りやすい。
本丸には神社があった。
本丸。
街道を監視する役割もあったのではないか。
下をのぞき込むと堀切がある。
堀切。
本丸を見上げる。
本丸下にも帯曲輪がある。
少し降りたところに曲輪のようなものがある。
土塁か。
位置関係
東殿山城の城主は横山氏である。
open-hinataより【市山城】
余湖図【市山城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【市山城】
城の概要
1郭の東から南へ帯郭を設け、北側を堀切によって断ち切っている。
1郭の南に堀切を隔てて郭を置いている。この郭の北側には二条の土塁を設けている。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明。
城主は不明であるが、東殿山城の城主が横山民部という人物であり、横山神社が麓にあることからも、この城が横山氏の支配地域だった可能性が高いと思われる。
ただし、横山民部は武田氏滅亡時にこちらも滅亡している
※その後一族の横山氏(横山眞高)は大内義隆から鈴張内23石余の地を与えられている
最終的には熊谷氏の支配地とある。
所感
●本丸に神社がある、よくあるケースの城。
●城の北側に大きな堀切、南には曲輪もあり、南北両方を意識した城。
●横山氏が城主ではなないかと思われるが、古文書等にも記載されていない。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/04/20