城データ
城名:三遍山城
別名:二遍山城
標高:147m
比高:67m
築城年:不明
城主:不明(熊谷氏家臣)
場所:広島県安佐北区可部町大林
北緯:東経:34.544771/132.538595
攻城記
この墓所から登る。
登り
ここから直登。
獣道を登っていく。
いつもながらの直登。
ただし木を伐採しており登りやすい。
やっと曲輪に到着。
畝状竪堀を確認。
本丸方面を望む。
本丸に到着。
井戸跡っぽい。
本丸から下をのぞき込む。
本丸から一段下がったところ。
別の曲輪。
藪かもされておらず確認しやすい。
麓も確認しやすい。(草木がなければ)
位置関係
open-hinataより【三遍山城】
余湖図【三遍山城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【三遍山城】
拡大図。
城の概要
本城跡は、根ノ谷川東岸の押手山から西へ延びる丘陵上にある。
1郭は三段に分かれており、それぞれの比高差はおよそ1mである。
北西斜面には、植林のため地表面が改変されやや不明瞭だが、五条の畝状竪堀と一条の竪堀があり、背後にも堀切を配している。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細は不明であるが、熊谷氏の支城であり、伊勢ヶ坪城から高松山城への連携を想定した城と思われる。
所感
●山の中腹にあり、最高所には王子城があるが、こちらの城の方が加工度が高い。
●本丸までは直登しないといけないが、急峻でないため、比較的登りやすい。
●登り切った最初の畝状竪堀はしっかりと造られている。
●曲輪はほぼ単郭っぽいが、本丸よりも一段低いところにもわずかにある。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/01/14