
城データ
城名:尾和城
別名:尾和宮首城
標高:74m
比高:54m
築城年:戦国時代か
城主:尾和左衛門
場所:広島県広島市安佐北区深川町
北緯:東経:34.495235/132.523296
攻城記

橋の直線上の山が城域になる。

尾和金毘羅神社に進んでいく。

神社まで進む。

この削平地も曲輪跡だと思われる。

尾和神社。



神社の西側面をのぞき込む。

神社の奥を進んでいく。

堀切。

この上が曲輪になる。
切岸もしっかり残っている。

本丸裏にも堀切がある。

本丸最上段から望む。

本丸最上段から後方を望む。


しっかりと残っている。

後方から本丸を確認。


曲輪を確認。

麓の眺望。

曲輪側面。

城域には河原石があった。
投石用か。
位置関係

open-hinataより【尾和城】

余湖図【尾和城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【尾和城】


城の概要
城の概要本城跡は、三篠川北岸の白木山山系から南西に延びる丘陵の先端に位置し、眼前で三篠川と太田川が合流している。
郭の位置は尾根を二条の堀切によって分断し、その中に三つの郭を階段状に並べ、東側面には帯郭を一つ配している。
城跡の下手には現在尾和神社があるが、その付近にも一か所の削平地があり、郭として利用された可能性もある。
城主としては、尾和左衛門の名が伝えられている。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明。
城主(一族)石高
『毛利八箇国御時代分限帳』に以下の人物が記載。
尾和善右衛門 51.445石 長門 阿武
苗字の希少姓から同族の可能性も否定できない。
所感
●山の中であるが木も無く、非常に分かりやすい城であった。
●見どころは本丸後方の堀切、曲輪先端も切岸で加工されている。
●麓からでも10分位で到達できるので簡単にいける山城。
●尾和氏は安佐北区には1軒、東広島市に数軒ある。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2023/03/26





