城データ
城名:古屋城
別名:小屋城、倉田城
標高:260m
比高:20m
築城年:戦国時代か
城主:蔵田日向守真信
場所:広島県東広島市志和町志和東
北緯:東経:34.479858/132.678258
攻城記
古屋城全景。
民家の右側の小山が城域。
この場所も曲輪か。
この先から攻城。
土塁跡あり。
細長い削平地があるのみ。
麓までは急峻。
先端部。
位置関係
open-hinataより【古屋城】
余湖図【古屋城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【古屋城】
城の概要
崖崩れ等により,往時よりかなり変形しているものと思われる。
1郭は東西約30m,南北4〜8mが遺存しており,背後(西側)に「L」字状の土塁が残る。
先端部に二ヵ所の小さな平坦面があるがこれらは郭かどうかは判断しがたい。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
古屋城
志和東上ノ尾にある。
芸藩通志に蔵田日向守の居城と伝え ている。
西条武士の蔵田氏の城がここにあることは、大内氏の命による天野氏監視の任務を与えられていたのであろうか。
このことはさきの「尼子氏の南下と鏡山城合戰」のところで述べている。
東に向け舌状にはり出した山を掘り切って独立させたもので、北側に小さな流れがあり、南側は道になっ ている。
低い山で要害というほどのものではなく、居住を主としたものと思われる。
頂上は四段になっており、東方の平削されたところから次の郭へは約八mの高さがあり、次は一mの高さ で、その次も一mくらいの高さとなっている。
ここには土塁があったと思われる。
『賀茂郡史』-中世武士編-より引用
城の歴史
詳細不明。
天野氏の所領の中に城があるので、監視をされていたとあるが、天野氏は大永3年(1523)頃に大内氏から尼子氏に寝返ったので、その頃のことか。
城主家系図
所感
●城の規模も大きくはなく、細長い城で監視のための城の感じがする。
●ただし、麓からは急峻で攻めにくいのが特徴。
●墓所を確認すると「内蔵田」という苗字の墓であった。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
『賀茂郡史』-中世武士編-