城データ
城名:三津城
別名:無し
標高:468m
比高:210m
築城年:古代?もしくは戦国時代か
城主:乃美氏?
場所:広島県東広島市志和町奥屋
北緯:東経:34.450419/132.633184
攻城記
三津城遠景、比高は210mある。
攻城開始。
道があるため登りやすい。
尾根も非常に綺麗。
途中の石垣のようなもの、恐らく違うが、石垣みたいであった。
ここから急俊になる。
やっと城域麓まで到着。
削平地。
鉄塔付近から見える風景。
瓦発見、近世には神社があったか。
石塁のようになっている。
近代の遺構か。
区切っている。
本丸。
広さはそこそこある。
尾根を進むと次の曲輪がある。
奥屋方面。
降りて先に進む。
瀬野方面。
曲輪跡。
非常に散策しやすい。
位置関係
open-hinataより【三津城】
余湖図【三津城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【三津城】
城の概要
三つのピークに郭を置いて,その間を細長い郭で結んでいる。最高所の郭は南西端のもので,その北東下には土塁がある。
最大の郭は中央のピークにあり規模は約45×15mである。
細長い郭と堀切を挾んで北東端のピークには約20×10mのがあり,その北東下には尾根筋上に細長い平坦面が続く。
城主は乃美氏といわれている。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
三ッ城
奥屋と冠の境いの山、六条末光にある。
神亀年間(七二四 〜二八)聖武天皇が生城山駐輩のとき、南の空に妖星が現らわれ天皇を悩ましたので、この三ッ城の山へ加持壇を作って祈祷したという伝説をもつ山である。
城主については乃美氏とかいろいろいわれているがはっきりしない。
細長い遺構が残っている。
『賀茂郡史』-中世武士編-より引用。
乃美氏について
『芸藩通志』では
三津城奥屋、冠二村の間にあり、守者しれず、豊田郡、 乃美氏が家系を、按に、其先、乃美定景、賀茂、三津城 主たりと見えたり、
とある。
城の歴史
詳細不明。
聖武天皇などの伝承もあるが、真意は不明。
所感
●奥屋村と冠村の境にある城で聖武天皇伝説あるがあくまでも伝説。
●城主は乃美氏とあるが、この地域に乃美氏はいないので天野氏か阿曽沼氏の城であったのでは。
●または両氏の家臣に乃美氏がいたのかもしれない。
●山頂からは志和方面も瀬野方面も確認できる。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
『賀茂郡史』-中世武士編-
公開日2024/05/19