城データ

城名:トンガ坊城

別名:無し

標高:117m

比高:20m(麓の道から)

築城年:戦国時代か(弥生時代の遺構もある)

城主:

場所:広島県広島市安佐北区可部町下町屋

北緯:東経:34.548961/132.531786

トンガ坊城はここ

ただしバイパスの為大半は破壊されている。

 

攻城記

左の山がトンガ坊城跡

ただし、バイパス建設で大半は破壊。

トンネルを抜けて攻城開始。

尾根筋を目指す。

この部分が城域であったが現在は破壊されている。

尾根筋を進んでいく。

なだらかな平坦地が続く。

このような平坦地が奥まで続いていた。

 

位置関係

 

 

open-hinataより【トンガ坊城】

 

 

余湖図【トンガ坊城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

(4)小結

トンガ坊城跡について

トンガ坊城跡は調査前から山城跡として周知されてきた。しかしながら古文書などの文献への記載は皆無である。

 

その名があらわれるのは,文化10年(1813年)に厚狭鴨ノ庄の熊谷家家臣,児玉泰之進・井上源兵衛・槍持ち1名が熊谷氏菩提所に代参した際の記録である「安芸国安芸郡三入庄覚書」である。

 

「一,下町屋に古城七ケ所有之左に記え,〜中略〜一,とんが坊山に城壱ヶ所〜以下略〜」と記載があり”この時期には城跡として認識されていたようである。

 

本城跡の城主については熊谷氏老臣細迫氏という説がある。

 

今回の発掘調査では,郭と考えられる平坦面11か所や堅堀などを確認した。

 

しかしながら,平坦面上の多くは後世まで使用され,また,集落跡とも重複する面もあり,城に伴う建物などの明確な遺構は確認できず,また遺物も少量でかつ破片であった。

 

前述したとおり,調査区外の尾根元側には平坦面が続き,調査区外南から西にかけても平坦面が広がる。全体を考慮しても,調査区内の平坦面1・6・9が,地形的にも眺望的にもよく,主たる郭として機能していたものと考えられる。

 

本調査では明らかに人工的な地形改変が見られ,少量ながらも陶磁器片や銅銭類が出土している。

 

土層観察や地形観察によると,城に伴い造成された面としては第2平坦面中央部・東部,第4・5・7・9平坦面で,基本的な地形は弥生時代の集落跡の地形を元に形作られたものである。

 

地形的な面からみれば東から南西部にかけては急な斜面や崖面で,竪堀と考えられる落ち込みも存在し,防備の面も十分であるが,西北側斜面は比較的緩い斜面で防御施設も確認できない。

 

上根峠側(伊勢ヶ坪城側)を意識して造られたものとも考えられ,西側の尾根下の平地に本拠地を置いていたものと想像できる。

 

服部英雄氏は鎌倉時代末期における熊谷一族惣領熊谷直経の所領を山倉川の谷間周辺の「五郎丸」(トンガ坊城跡の尾根南側)付近の限られた地域であるとしており”,比較的早い時期から熊谷氏や庶子の城として存在していた可能性がある。

 

また,平坦面の埋土から陶磁器片や輸入陶磁器片などが出土しているが,少量でかつ破片であり,城跡の時期を特定できるものではないが,16世紀前半頃の遺物がみられることから,少なくとも16世紀前半には城として機能していたと考えられる。

 

一方,「芸藩通史」や「文政2年高宮郡国郡志御用につき下調べ書き出し帳」にはその名を見ることは出来ない。

 

同時期頃の「安芸国安芸郡三入庄覚書」は地元民からの聞き取りであり,その頃にはすでに城の存在を知るものが少なかったとも想像できる。

 

今回の山城跡の調査範囲は部分的なものであり,調査区の北側及び南側に広がるものと考えられ,全体の様相が分かってから,その性格を再検討する必要がある。

 

『(財)広島市未来都市創造財団発掘調査報告書 第1集』
トンガ坊城遺跡・坊主山遺跡 柳遺跡・琴平遺跡
-一般国道54号(可部バイパス)建設工事に伴う発掘調査-
-本文編-

より一部引用

 

城の歴史

詳細不明、『芸藩通志』にも記載なし。

城主が細迫氏とされているが、熊谷家臣に細迫氏が何人かいる。

 

細迫氏

 

細迫左京亮

(弘治2年10月28年)

弘治2年=1556年

萩藩閥閲録27‐11

細迫伊賀守

萩藩閥閲録127熊谷彦右衛門-65

 

元亀元年5月1日

元亀元年=1570年

萩藩閥閲録127熊谷彦右衛門-10

 

細迫弥三郎

天正3年1月1日

天正3年=1575

 

 

 

細迫三郎右衛門

文禄2年4月28日

文禄2年=1593年

萩藩閥閲録27-151

 

 

城主推定家系図

 

所感

●バイパス工事で大半は破壊されているが、山頂部分よりも奥にも平坦面があるので城域だったかもしれない。

 

●弥生時代の遺構もあり、当時からこの場所は人が生活していたことが分かる。

 

●トンガ坊城跡の東側には細迫の小字名が残っており、地元の地侍が「細迫」を名乗ったか

 

 

関連URL

【広島県】門田城【広島市安佐北区可部町下町屋】

 

参考URL

ひろしま昔探検ネット(トンガ坊城)

トンガ坊城遺跡・坊主山遺跡・柳遺跡・琴平遺跡

 

参考文献

『(財)広島市未来都市創造財団発掘調査報告書 第1集』
トンガ坊城遺跡・坊主山遺跡 柳遺跡・琴平遺跡
-一般国道54号(可部バイパス)建設工事に伴う発掘調査-
-本文編-

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

『大日本古文書 家わけ 8-1 毛利家文書』

 

 

公開日2024/04/20

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