城データ
城名:楢原城
別名:無し
標高:105m
比高:80m
築城年:不明
城主:楢原備中
場所:広島市安佐北区上深川
北緯:東経:34.481266/132.548752
攻城記
川に近い部分の山が楢原城。
橋の右の山が城域。
道なりにいくと、社がある。
少し前まで田んぼがあったと思われる。
かなり奥まで広がっている。
東の城域を目指す。
あの尾根まで直登する。
尾根先に到着。
この部分も曲輪か。
ここも曲輪に見えなくもない。
本丸周辺部分。
最高所。
最高所から麓をみる。
別の場所を見下ろす。
下っていく。
尾根に築かれた城だと分かる。
下山完了。
位置関係
open-hinataより【楢原城】
明確な遺構は確認出来ず。
余湖図【楢原城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【楢原城】
地図では「楢原」ではなく「樽原」となっている。
2020年代の樽原城。
1960年代の樽原城。
城の西麓に田畑があることが分かる。
城の概要
本城跡の、眼前には広島~吉田を繋ぐ県道が東西に走っている。
城跡の直下は三篠川が作る淵の部分に当たる。
また、東西の丘陵がやや南に張り出しており、目立たない少し奥まった地点に所在している。
最高所の1郭から南へ延びる主尾根上に階段状に二つ、1郭背部に一つ、それぞれ郭を設ける簡素な構造となっている。
城主については楢原備中と伝えられている。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
不明であるが近隣の七曲城や院内城とも連携していたのではないか?
所感
●城としての削平地は少なく、防衛には適してない感じをうける。
●城主が楢原と分かっているが、それ以外は詳細不明、近隣にも楢原という苗字はいない。
●城の西麓は昔田んぼだった形跡があった。
関連URL
近隣の城。
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2023/03/14