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城データ

城名:駿府城

標高:23m

比高:0m

築城年:天正13年(1585)徳川家康によって築かれる。

城主:徳川氏、中村氏、内藤氏

場所:静岡県静岡市葵区城内町(駿府公園内)

北緯:東経:34.979507/138.383126

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※C. フォーマット「度(DD)」の場合を参照。

攻城記

立派なは櫓が目立つ。

桝形虎口を入っていく。

 

余湖図【駿府城】

 

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

駿府城

近世駿府城の創築は天正十三年(一五八五)に始まる。

 

この年閏八月十四日、 家康より駿府築城の命が松平家忠に出され、家忠は駿府に到着している(『家忠日記増補追加)。

 

もちろん、同十年に武田勝頼が滅亡したのち、駿府を領国経営の中心とする考えからの築城であり、同十四年十二月、家康は浜松から駿府 に移った。

 

しかし、まだ城は完成しておらず、『家忠日記増補追加』に「同十五 年正月二十一日、駿府の城経営、家忠是を監すべき旨命を蒙る」とあり、また 「同年二月五日、二の曲輪経始、家忠是を監す」等々とある。

 

そして、天正十五年四月二十五日に本城が完成、同年十一月三日、駒の段の石垣が完成、翌十六年五月十二日、天守閣の工事が始まり、さらに同十七年四 月十日、城の普請工事が完成している。

 

ところが翌天正十八年の小田原征伐後、家康は江戸に移り、その後を受けて 駿府には中村一氏が十四万五千石で入府、中村氏は慶長五年(一六〇〇)の関ケ 東軍に与し、同年十一月一氏の子忠一は伯耆米子十七万五千石へ移封され、駿府には家康の臣内藤信成が入った。

 

しかし同十年四月、家康は将軍職 をその子秀忠に譲り、駿府を隠居地と定め、翌十一年四月、内藤氏を近江長浜 に移したのである。

 

家康の隠居城としての駿府は、慶長十二年からその工事が始められた。

 

これ以前、同十一年に家康は隠居所を駿府城の南、川辺村に定め て江戸に帰ったが、同年十一月六日、その計画を変更、天正年間に築城した城 内をさらに南・東・北に拡張している『当代記』巻四)。

 

この記述から推測すれば、天正期における駿府城は本丸・二の丸を含む地域までで、外郭である三 の丸は慶長十二年の工事によって完成したことになる。

 

家康は越前・美濃・尾張・三河・遠江の諸大名に助役を命じ、慶長十二年二 月十九日江戸を発ち、三月十一日に駿府に着き、毎日のように工事の進捗を見たという。

 

また二十五日には丹波・備中・近江・伊勢・美濃五か国の大名に五百石について一人の割りで人夫を出させている。

 

三枝助右衛門昌吉・山本新五 左衡門正成・滝川豊前守忠任,佐久間河内守政実・山城宮内少輔忠久らが奉行 としてその任に当たった。

 

『駿国雑志』に「同年(慶長十二年)五月廿三日、本 丸天守台経始。同年七月三日、本城方百廿間、共石垣高さ七間、或は九間、天 守台成就、神宮移徒。同年八月十五日、二郭方八百五十間、周囲すべて千間計り成就す。

 

同年十月廿八日、経始成就、五百夫悪く皈国」とあって、十月二十 に完成したことがうかがわれるが、家康はそれより早く七月三日には に入ったらしい。

 

ところが、その年の十二月二十三日午前二時頃、不慮の失火 によって本丸の建物が全焼し、翌十三年正月から再建工事にかかり、同年八月 十八日に竣工している。

 

家康は元和二年(一六一六)四月十七日、七十五歳で没した。

 

そして同五年七 月まで徳川頼宣が在城するが、兄秀忠の命で紀州和歌山城に移封、その後は一 時番城となり、寛永二年(一六二五)から同九年まで、将軍家光の弟忠長が城主となっていたが、上野に蟄居を命ぜられてのちは城代が置かれるようになった。

 

駿府城代は大坂城代と並ぶ幕府の重職で、元和五年、松平大隅守重勝が任ぜられて以来、元治元年(一八六四)、本多正読が最後に任ぜられるまで四六名を数 えている。

 

城代の下には与力一〇騎・同心五〇人が付けられていた。

 

そのほか 験府には、城代を助けて城外を守る役目の駿府加群が置かれ、老中の支配下にあり、駿府城において城を守る駿府定番という職もあった。

 

慶応四年(明治元、 一八六八)、徳川家達が駿府城主になり、八月十五日に駿府の城代屋敷に入った。

 

翌年、駿府は静岡と改称され、城も明治五年頃までに払い下げられた。

 

城の歴史

室町時代:今川氏の屋敷がこの地にあった。

 

天正13年(1585):徳川家康により近世城郭として築城される。

 

天正18年(1590):徳川家康の関東移封に伴い、中村一氏が入城する。

 

慶長5年(1600):関ケ原の戦いで中村一氏は米子に移封して家康の隠居所となる。

 

慶長15年(1610):完成する。

 

城主石高

中村一氏時代:14万5千石で入部

 

所感

●天下普請で築城された立派な城。

 

●櫓の一部があるが、このような櫓が周囲に建てられて尚且つ立派な天守があったとなれば、当時は荘厳な城であったと思われる。

 

●行った当時は発掘調査をしていた。

 

関連URL

【愛知県】岡崎城【岡崎市康生町】

徳川家康縁の城。

 

参考URL

駿府城(公式)

駿府城(ウッキペディア)

城郭放浪記(駿河駿府城)

 

参考文献

『静岡県の地名』

『日本城郭大系』9

公開日2021/11/03

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