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自分の先祖の屋号を皆さんは知っていますか?

今でも田舎に行くと、普通に屋号で呼び合っています、私の田舎でもそうです。

 

屋号と聞くと、商家独特のものであり、普通の家(ほとんどは農家)では無いのではないか?と思うかもしれませんが、農家でも普通にあります。

 

屋号の特徴としてはその発生として色々あります。

 

屋号 家紋について

 

武士は公式に名字を名乗ることが許されましたが、それ以外の階級の人間は公式には名字を名乗れませんでした。

 

そこで、武士以外の階級の人々は「屋号」というもので家を区別していました。

 

「屋号」=家毎の呼び名

 

名字と違うのは、名字の場合は同姓は同じものになりますが、「屋号」は周辺地域では同じものが無いということです。

 

※家を区別するために呼び名を替えるのですから、同一地域に同じ屋号は無いです。

 

屋号例

1先祖名:せんすけ(仙助)、いちべい(市兵衛)

 

恐らく初代の人物の名前を取ったものだと思いますが、訛っており一瞬名前だと分からない場合などもあります。

 

 

2職業名:かじや(鍛冶屋)、さかんや(左官屋)、げたや(下駄屋)、おけや(桶屋)

 

先祖の職業を屋号にしたものになります、これらの屋号の場合は商人や職人の可能性があります。

 

若しくは、農家であっても副業としてやっているものが屋号になることもあります。

 

因みに私の家は農家ですが「鍛冶屋」が屋号です。

 

※祖父が分家初代でしたが、副業として鍛冶屋をやっていたから。

 

3立地条件:ひだや(日田屋)、さきまえ(先間屋)

立地条件の可能性が高いと思われますがなぜそのような屋号になったのかは不明です。

 

日田屋:私の父の母の実家の屋号

 

先問屋:私の父の母の父の母の実家の屋号となります。

 

一般的には立地、東西南北などから様々な屋号がつけられると思われます。

 

4意味不明:せのぶ、かみこぶけ、むかわ

意味が伝わっていないものも多いです。

 

「かみこぶけ」は上のほうにある小深田(こぶけだ)で深い田んぼのことを指しているのではないかと推測します。

 

「むかわ」は向かい側(むかいがわ)の転化かもしれません。

 

5商家:大和屋、伊勢屋、越後屋

典型的な屋号です。

 

これも旧国名だからといって商家でない可能性もあります。

 

大和屋:私の母の父の父の母の実家の屋号。

 

完全な農家です、ひょっとしたら初代が大和国から流れてきたのかもしれません。

 

このように、屋号といっても由来が様々あり、その由来を調べることも先祖探しの面白さのひとつではないでしょうか?

 

地域によっては「門名」(カドナ)という呼ばれ方をしている場合もあるようです。

また、お寺の過去帳の場合は江戸時代以前は苗字での記載はありません。

※すべて屋号になります。

 

ということは、屋号が分からないと確実に先祖を追えなくなりますので江戸時代以前を遡る場合の必須条件にもなります。

【直系尊属】先祖、苗字、居住地、屋号、家紋、菩提寺

 

添付の資料に自分の直系尊属を入力していけば壮大なデータベースが完成します。

 

イメージ図

 

同じ家でも屋号が変わる場合

また、屋号で注意すべき点は同じ家でも屋号が変わっている場合があります。

 

理由は色々あるとは思いますが、私の例でも住居の場所が変わって屋号が変わっている例がありました。

 

先ほどの「先問屋」ですがそれは1800年代の屋号で1700年代の屋号では「花屋」でした。

 

なぜ、それが分かるかというと、古いお墓や位牌があり戒名や没年が判明していたからです。

 

お寺の過去帳から、その古い戒名を調べていくと屋号が違っていました。

 

なぜ屋号が変わるのか?と思いましたが、その家の当主に話を聞くと、以前はこの場所に住んでいたのでは無く、少し離れたところに住んでいたようです。

 

住む場所を変更した時に、屋号も変えたのかもしれません。

 

ということで、この古い屋号で遡ると、更に先祖が判明する可能性があります。

 

【まとめ】

●農家や商家には「屋号」というものがある。

 

●現在でも田舎にいくと「屋号」で呼び合っている風習も残っている。

 

●江戸時代では苗字を公称出来ないため「屋号」で呼び合っていたし、お寺の過去帳も屋号で記載されていた。

 

●同じ直系尊属の家でも屋号が変わることもある、理由は引っ越しなどで、その場所から移動したなど。

 

公開日2019/08/02

更新日2021/07/31

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