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先祖調査のセオリーと言えば!!

まず

①戸籍を最古まで取得して江戸時代後半の先祖を特定する(1800年代前半)

②位牌、お墓、過去帳を探してこれ以上ないというところまで行きつく(1600年代後半から1700年代中盤)

です。

運にも左右されますが、運が良ければ、最古の先祖が生まれたのが1620~1650年頃だと思われます。

ここで自家に保存されているもの(戸籍、位牌、過去帳、墓)からの調査はひとまず終わりになります。

 

稀に自宅に由来書や家系図が残っている場合はさらに遡れるかもしれませんが、家系図がある家はほとんどないと思います。

 

これと同時進行で上から下がっていく方法もあります。

まずは、調査したい苗字について調査します。

図書館にある市町村史や「姓氏家系大辞典 太田亮著」を調べてみましょう。

参考図書:姓氏家系大辞典

 

調査する苗字についての概要を把握します。

姓氏家系大辞典では同県の同姓がいないか調査します。

 

参考資料:姓氏家系大辞典

 

通常の苗字であれば、最低でも2~3系統あります。

田中や鈴木、渡辺などは十数系統ありますが、自分の先祖と同じ県をまず確認しましょう。

 

ここに記載されているのであれば、かなりの確率で市町村史にも記載されている場合があります。

 

市町村史の場合は詳細に記載されていますので県単位から郡や町単位まで絞り込めることか可能となってきます。

 

(例)

備後の田邊氏は西城町におり、先祖は紀伊国から来たのが分かります。

最初は神石郡古川村にいたものが奴可郡末渡村に居住したと記載。

宮氏に属したとあります。

 

次に市町村史を確認すると。

久代宮氏というものがいることが判明。

「久代記」というものがあるらしい。

 

そこで久代記が無いか確認する。

 

 

久代記に田辺大隅之太夫道春という人物がいたことが分かる。

仮に自分の姓が田辺の場合でこの地方に先祖が住んでいたとなれば以下の仮説が成り立ちます。

 

●一族発祥の紀伊国の田邊でいつの時代にか備後国神石郡に居住

※なぜ紀伊国から備後国に来たのかは要調査。

荘園関係の被官の可能性もあり。

 

●神石郡から奴可郡に移動したのは一族の誰かで、理由は久代宮氏の家臣として行ったと推測。

※久代宮氏とは?

※執権田辺氏とあるので相当の実力者であった可能性がある。

 

●その子孫は「芸藩通志」に記載されている人物で村の里正にも度々なっている。

 

どこで別れたかは不明であるが、紀伊国から来た「田辺弾正少弼兼信」が初代でその子孫の可能性は否定できない。

 

上記の推測は最低でも成り立つのではないでしょうか?

 

この場合は、国人領主ではなくその家臣などになりますので、詳しい書物が残っていることは少ないかもしれません。

 

自分の名字が国人領主クラスになれば、もう少し詳しいものがあります。

具体的には尊卑分脈という書物があります、尊卑分脈とは古い時代の家系図で概ね鎌倉から室町時代頃までの公家や武家の家系図が記載されているものになります。

 

国立国会図書館デジタルコレクションの中にもあります。

新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 1など

 

江戸時代には「寛永諸家家系伝」や「寛政重修諸家譜」という武家の家系図が作成されました。

 

これらの中に上記の「市町村史」や「姓氏家系大辞典」の中に記載されていた人物や関係のありそうな人物が載っていたら、ここまではおぼろげながら、繋がってくると思われます。

 

基本的には断定できるものは残っていませんので、推測の域はでませんが、この一族の庶流なのでは?という傍証は発見できるかもしれません。

 




ただし、絶対にこの家の庶家であると断定は難しいと思われます。

なので、由来書を作成して場合、「●●の子孫である」、というような断定的な記載は避けます。

「当家の先祖の苗字は●●である、市町村史には同姓の▲▲が同じ地域で活躍したとある、よって当家は▲▲の子孫の可能性も否定できない」というように、可能性があるかもしれない、位に留めていた方が無難です。

 

よほどの名家でない限りは江戸時代初期から室町時代の空白の200年(6世代位)を埋めることは難しいと思われます。

武士の子孫でもその由来書を確認すると、江戸初期あたりからの由来しかなく、その前は不詳と記載されているものもあります。

しかし、この点線をどのようにしたら埋められるかを考える時間が至福の時だと思われます。

 

【まとめ】

●先祖探しは下から戸籍、過去帳、位牌、お墓の調査がある。

●しかし上からの「尊卑分脈」「寛永諸家家系伝」「寛政重修諸家譜」の名前を下がっていく方法もある。

●その空白の200年を埋めることはなかなかできないが、どのようなことがあったのかを想像することが至福の時である。