私が先祖探しを始めたきっかけ
それは、小学生の頃から、祖父母、両親と墓参りを盆や彼岸にしており、その度に先祖の話をしていたからです。
私の家の伝承として高祖父がある村から天秤棒を担いで行商にきて、村の娘と懇ろな中になり、いつの間にか子どもが出来たという話しがありました。
高祖父母の墓
高祖父母の三男の一緒に眠っています。
江戸時代の話であり、あくまでも家伝でしたが、田舎から自宅に帰る車のなかで父親が毎回同じような話をしており、私の中では伝説の高祖父になっておりました。
少し成長して中学生や高校生時代には祖母からもう少し詳しく確認したり、仏壇やお墓の年号を確認する程度でした。
大学生になった春に図書館で町口充著の「家系図をつくる」という本を読んで衝撃をうけ、戸籍謄本を取りにいったことが本格的なスタートでした。
そして、大学1年の時に伝説になっていた、村を探し出して、とうとう、高祖父の実家の家を特定した時には、感慨ひとしおでした。
高祖父の所有していた古書:ここから先祖の家が特定。
本家の方が菩提寺に先祖の戒名を抽出依頼して、尚且つ住職のご厚意で、全てをピックアップして1730年頃までの先祖が判明した時には、驚きと同時に、どの家でも色々な事をやっていけば、ある程度古い年代の先祖も分るのでは?と淡い期待を持ちました。
この成功体験が元で、全ての直系尊属を調べるようになりました。
まずは、役場での戸籍謄本取得。
父方で2箇所、母方1箇所という非常に少ない役場でしたので移動時間や担当者のやり取りが少なくスムーズでした。
しかし、当時は戸籍謄本を読むスキルも低く取得漏れもありました。
ここからは親戚の家の位牌、お墓、家紋の調査などを調べてデータベースにしていった次第です。
自分の両親の実家は行き来がありますがそれ以上になりますと、面識がありませんので、祖母や叔父のつてを頼ってから紹介して頂き遠戚の家に伺いました。
当時は質問も思いついたままの質問でしたので、今となってはもう少し体系的に質問出来れば良かったなと思います。
お墓に関しては、最初は読めないのですが、何回も彫ったところ指でなぞると、あるとき何故か読める時があり、その繰り返しで、情報収集を行いました。
何回も行くことで丁度夕方に光の加減で鮮明に読めた墓石。
社会人になってから
社会人になり、中断をしたこともありましたが、子どもが生まれて再度後世に残したい気持ちが芽生えてから取り組んでおります。
戸籍の取得、遠戚での調査は調査開始2~3年でほぼ90%位は完了しました。
そこからはライフワークとなります。
菩提寺との縁があれば事情を説明して過去帳から先祖情報を抜き出して頂く依頼。
別の遠戚と知り合いになれば、お話を伺いにいく。
それから、更に進めて、郷土史の研究、先祖の苗字がどの地域に多く分布しており、どのような流れで派生していったのか?
市町村史には江戸時代の文献が活字になっているが、先祖の名前が記載されていないか?
このような地道な調査を行って、数年に1回新発見が1つあるかないかというところです。
ただし、新発見は無くとも、調査をした内容を苗字別にまとめていますが、まとめ方で毎年修正がありますので終わりがありません。
まさに一生かけてやっていくものだと思います。
サイトについて
自分の周りに先祖調査に興味のある方が誰一人もいないため、全国でも同じような方がいるのではないかと思いこのサイトを作成した次第です。
サイトに関しては「ござんべえのページ」を高校生の時に見て衝撃を受けて、いつか自分でも作ってみたいなという気持ちになりました。
以前はヤフーでサイトを作成していましたが、廃止になった為、心機一転別のサーバーでやり直しました。
その他、掲示版、ツイッターなども活用しながら、日本全国で困っている方の一助になればと思っています。
ということで、すでに35年以上経過しておりますが、今でも新発見があり、ライフワークとなっております。
追伸
元々家系図というものが好きだったのだと思います。
中学生の時は日本史の教科書や資料集の家系図のところを眺めているのが好きでしたし、古事記や日本書紀の文章から自分で家系図を作成していました。
こんばんは。
管理人さんは、小学生の頃から家系に興味があったとは、感心しました。私は、小学生の時に父親が亡くなり、母は嫁に来たのと、歴史に興味がなく家系については、何も分かりませんでした。只、古い家なので古文書類は多くあります。兄弟皆、興味なく古い箪笥や押入れに入れたまま、数十年開けたことがありませんでした。先祖が残したものなので、処分できませんでした。四十歳過ぎて息子が生まれ、先祖の事を伝えて行かなければと思い、古文書等の調査をはじめました。本格的に保存活動を始めたのは、子育ても終わり、還暦過ぎた最近です。古文書の傷みもそうですが、昔の文字は読めず意味も分からずで、難義でした。新発見もありました。曽祖父の武士時代、まげに刀を差した古写真。現在、博物館に一点ある姫路城の古写真。すべて解読できれば、まだまだ新発見が期待できそうです。管理人様も頑張って、調査してください。
塩澤様
有難うございます、私の周りの親族も余り興味はありません、ただ、父と祖母が昔話のように、高祖父の事を話していたのがやはり興味をもったきっかけです。
古文書があるというのは羨ましいですね、解読はなかなかだと思いますが、古文書を読むのが好きな方もいますので、そのような会に所属しながら、解読していけば新発見も期待できます。
古写真などは貴重な資料になりますので、保管方法を考えたいところです。
あとは、お子さんや将来のお孫さんに一族の伝承を伝えていくことも重要ですね。
ありがとうございます。今回、初代(元亀、天正年間)から現代まで、17代を調査して分かったことは、男子が生まれ、二人成人したのが二例でした。後は、早世し一人の男子が家系を継いだ事です。乳幼児の死亡率が高い時代に、一人の男子が何代も家系を繋ぎ、火災にも合わず記録が残った事は、何かの不思議を感じます。私は、一人息子に結婚して跡継ぎをと言いません。数百年続く親戚も絶家しましたし、この先、家系がいつまで続くかは、天命と思ってます。只、先祖の残した物は、しっかり保存して子供に残します。子供も残して貰って良かったと、思う日がくるかも知れません。家系調査とは、歴史の不思議を感じる事かな?過去を見れば、未来も見えるかな?
私の場合ですが
1.幼少時、誰にも父母がいる、という当たり前?の事実を知ったから
そういえば、日本史の年表を見て、明治以前にも年号があったんだ
と驚いた記憶あり
2.祖父の墓に、自分と異なる名字が書いてあったから
そのことについて、父もその兄弟姉妹も誰も詳しいことを知らない
というおまけつき
3.除籍が取れるとしって、早速祖父の除籍をとったら、
父親の欄に名字が違う、初めて聞いた名前が書いてあったから
(しかも墓に刻まれた名字とも異なる)
4.ついついY染色体調査をしてしまったから
3の謎はネットで偶然見つけた情報からかなり明らかになりましたが
2の謎はまだ全然解けてない・・・
そのような事があったんですね。
2の謎が解けるといいですね!!
私の場合も父母の両輪がいるな?さらにその両親もいるな?と思い調べ始めました。
小学生の頃です。
返信、ありがとうございます
まあ、お墓の件はお寺に尋ねるのが一番なんですが、
あいにく、父は長男ではないので…
「古い戸籍は廃棄される!」
私そして私の子どもたちに繋がる先祖の「存在した証」である戸籍(除籍謄本)の収集を始めたのは彼是5、6年前でしょうか。
父方、母方それぞれ祖父母がおりまして、祖父母にもそれぞれ先祖、ルーツがございます。自分の「身分」で可能な限り集めるのに3年かかりましたでしょうか。
父方の方には県外にルーツがございます。
該当の自治体の役所の窓口に照会をしまして、「戸籍が残っています」と返答があれば、交付手数料の郵便為替をレターパック(返送用のレターパックも同封して)で送るという作業…だから郵便局には何度も通いました。ずいぶんお小遣いも費やしましたね。
照会はしたけれど「廃棄済み」になっているものもございましたね。自治体によって取扱いがまちまちのように見うけられました。
廃棄済の戸籍も増えていくと思います。
まだ取得できるものを保管しておけば、後世の子孫には感謝されると思います。
私の場合は平成5年の時は取得できたものが平成20年頃には廃棄されたおり、遠戚にコピーを渡したら感謝されました。