hpuppet / Pixabay

 

スポンサーリンク

小谷(こたに)家

小谷家は私の高祖父の実家の家です(婿養子に入る前の実家)

岩本家の戸籍を遡っていくうちに、「岩本源治郎」が婿養子で小谷家から来たことが判明しました。

小谷家(4軒くらい?)に「源治郎の父親である小谷延蔵さんは知りませんか?」

という手紙を書いたら「自分の家である」という方から手紙を頂きました。

手紙には「私たちには子供がいなく親戚も少なく、もし来る便があればよってください」とあったので、

大学1年のころ原付で5時間かけてお邪魔しました。そうしたら位牌や旧墓があり1700年代まで判明しました。

そんな小谷家の当主も私が大学3年の頃には亡くなられました。まさに危機一髪でした。

当主の話によると、昔は下役人みたいなことをしていたらしく、何の役人かは不明(米か?鉄か?おそらく鉄ではないか?タタラ等)屋号は「保賀」で家のある場所が「保賀谷」という谷にあります。

小谷の旧墓に保賀宇右衛門姉(坂根冶兵衛母)天保6年3月25日亡とあるが、坂根は保賀の隣の字です。

 

学んだこと

小谷さんは手紙を書いたら、快く家に来てくださいとおっしゃってくださいました。

はじめは、無視されたらどうしようとか色々考えましたが、実際には丁寧な文章で来てくださいとあったので大変嬉しかったです。それ以来、手紙を書くことが苦にならなくなりました。案ずるより産むが易しです。

先祖を探すときには多くの方に(特に古い先祖を探すときには、関係があると思われる方全て)手紙を書かなければなりません。

そうなったときに躊躇していてはなかなか進みませんが、思いきって行動してみると、思いがけない収穫があることがあります。小谷さんの家はまさにそのような家でした。

 

○青山家

青山家は私の6代前の先祖です、直系尊属に「六左衛門」という人物がいました。

戸籍から住所が分かったので手紙を書いたら返信され「実際に青山六左衛門はいます」とありました。

実際に伺い墓を見せてもらいました。墓所に案内されてみましたが、墓が沢山ありました。合塔で1代から10代までの先祖の戒名と没年が彫ってありました。

この家も昔からの旧家で一番のが元禄時代の年号が彫ってありました。

そのときはそれに満足し、位牌や過去帳のことは調査しませんでした。

2004年になって、青山の家紋をみたら銀杏でこれは岡山家の青山氏と一緒ではないですか。

そこで戦国時代末期毛利が岡山まで版図を広げたときにその一族の誰かが移住したのではないか?

と考えました。

当時はそこで諦めていましたが、10年近く経過したときに、お寺を確認したら、住職がいました、話をよく聞くと、先代の住職は海外に布教に行き戻ってこないので、代理で寺を管理しているとのこと、過去帳は先代住職の親族のお寺にあるとのことでした。

そこで、親族のお寺に事情を説明してから、過去帳の確認をさせて頂きました。

そこで、お墓にはいなかった先祖が沢山出てきており、興奮した事を覚えております。

学んだこと

ここの菩提寺も住職が亡くなって廃寺になっていました。廃寺になっているお寺は意外と多いのだなとおもいました。

また、高祖父母まで行くと家が8軒になります。その上は16軒。

そうすると、結構古い位牌をもっていたり、墓がたくさんあったり、旧家の家があったり、先祖を尊ぶ家に当たったりします。そうなると墓の古いのがあったり、伝承が豊富だったりします。 

また、お寺の過去帳は非常に重要であり、家の位牌やお墓には記載されていない人物も多くいるという認識になりました。


参考になりましたら、ポチっとお願いします。 にほんブログ村 歴史ブログ 歴史情報へ にほんブログ村