城データ
城名:田屋城
別名:無し
標高:270m
比高:30m
築城年:不明
城主:三宅氏
場所:広島県東広島市志和町志和東
北緯:東経:34.483679/132.685539
攻城記
墓所から道があり進む。
実際の城は谷を挟んだ場所。
鹿の防止柵があり中に入れない。
目の前が曲輪であるが行けれ無い。
やっと出入り口を発見して攻城開始。
段々面があるが、後世の畑だと思われる。
畑だろう。
曲輪部分に到着。
この上が本丸になる。
本丸の麓の周囲。
横堀っぽい。
本丸部分。
麓を望む。
再度降りて麓を確認。
畑面を下って下山。
麓には財満家の墓もあったが、財満氏の天野氏の家臣であった。
位置関係
open-hinataより【田屋城】
余湖図【田屋城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
1郭は23×10〜18mで,周囲の郭との比高は約13mである。背後に土塁を置き,さらに尾根続きには堀切を設けている。
3郭は約16×13mの方形の郭で,虎口を形成しているものと考えられる。
城跡の北の谷部にはいくつかの段差が見られるが,近年まで開墾され田畑として利用されており,往時よりは変わっていると思われる。
城主は,天野家臣の三宅氏と伝えられる。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明。
天野氏の家老であった三宅氏の城と伝えらえている。
三宅氏について
三宅氏は天野氏の家老クラスの家柄であった。
また、田屋城の城主は三宅左京亮との伝承があるが史料からも左京亮が出てくる。
左:『広島県史 古代中世資料編Ⅴ』天野毛利文書-84
右:『萩藩閥閲録』2-7
所感
●城の規模は中クラス、単郭ではなく横堀なども確認出来る。
●三宅左京亮は1558~1579頃に活躍しており、天野元政(毛利元就の七男)が天野家の家督を相続した時からの家老だったと思われる。
●この地域には三宅氏がいまでも多い。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
『賀茂郡史』-中世武士編-
公開日2024/05/19