城データ
城名:岩熊城
別名:馬場城
標高:97m
比高:70m
築城年:室町時代末期
城主:馬田豊前守
場所:島根県雲南市大東町養賀字岩熊
北緯:東経:35.334533/132.945915
攻城記
岩熊城全景。
案内板あるので分かりやすい。
西郭
堀の状態がはっきりと分かる。
ただし上にいくと藪化で難しい。
東郭に向かう、これは堀切か。
東郭
西郭からみた先ほどの堀切。
余湖図【岩熊城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
岩熊城は大東町養賀地区の岩熊山にあったが、二段の平地からなる山頂には 馬場・弓場の跡と思われるものが残っている。
また、東方のやや下がった所には「御殿跡」と称する館跡がある。
城の水の手は北方畑鴨の鴻峰山から導い たといわれている。
佐々木義重の子三郎頼重がこの地に住し、地名をとって馬田氏と名のったが、 応仁の乱では山名方に属したため出雲守護京極氏に敵対する形となり、応仁二年(一四六六)以来数度、尼子清定に攻撃され尼子氏の家臣となったといわれる。
『日本城郭大系』14より引用。
岩熊城
赤川北岸に迫る丘陵上にあり、大字養賀と大東町下分とにかかる。
越前の集落と城ケ谷を挟んで大きく東西二群から成る。西が主郭群で、さらに大堀切りによって西の先端郭と区分される。
東郭群は後背砦の性格が強いものとみられ、殿屋敷、馬乗馬場などと俗称され、その麓には○○屋敷の名称があるなど、居住区域であったことを示している。これらの郭群は城ケ谷を挟んだ北側の狭い尾根伝いに連絡している。
人家に近い低丘陵でもあり、かつてほとんどの郭が畑地として耕作されて変形しているが、大まかに郭の構成が推測される。
郭の配列はほぼ梯形で切岸を生かしたものである。土塁や石垣は用いられていない。室町末期に馬田氏の拠った城で馬場城とも呼ぶ。
『新大東町誌』より引用
岩熊城跡
赤川北岸に迫 る丘陵上で、大字養賀と大東下分とにかかわる。
越前の集落と城ケ谷 を換んで大きく東西 2群 から成る。
西が主郭群で、 さらに大堀切りによって西の先端郭と区分される。
東郭群は後背砦の性格が強いものとみられ、殿屋敷・馬乗,馬場などと俗称され、その麓には○○屋敷の名称があるなど、居住区域であったことを示している。
これらの郭群は城ケ谷 を挟んだ北側の狭い尾根伝いに連絡している。
人家に近い低丘陵でもあり、かってほとんどの郭が畑地として耕作されて、旧形が何程かは変形 していると思われるが、大まかにその構成が偲ばれる。
郭の配列はほぽ梯形で切岸を生かしたものものである。土墨や石垣は用いられていない。窒町末期 に馬田氏の拠 った城で馬田城とも呼ぶ。
『大東町の遺跡Ⅰ』春殖 幡屋 より引用。
城の歴史
応仁2年(1468):尼子清定が馬田城を攻略し落城、以来尼子氏の家臣となる。
永正年間(1504~21)に馬田豊前守が城を再建したという。
大永2年(1522):馬田豊前守が稲荷神社を再建する。
大永4年(1524):大内義隆等が石州に侵入したので、尼子経久は、亀井能登守、牛尾遠江守、馬田駿河守、広田、川副等を安芸にやって、大内方を攻めさせた。
永禄元年(1558):毛利元就が石州侵入、銀山攻めに対して、尼子晴久は、味方の小笠原氏を応援するため出兵し、馬田慶信もこれに加わったが、小笠原氏が毛利軍に降伏したので応援は無効になった。
永禄年間(1558~1570):分家と思われる和田山の城主である馬田越中守が成蓮寺を建立。
※この馬田越中守は最初は尼子の家臣であったが永禄年間(1558年~1570)に毛利に属する。
永禄6年(1563):馬田彦三郎は出雲白鹿城が攻められた時に富田城から応援に行く。
永禄8年(1565):馬田慶信は毛利軍が富田城を攻めた時尼子義久と共に戦ってこれを破った。
慶長19年(1614):馬田豊前守が馬田寺を開祖する。
※瓦が奈良時代のものがあるので再興したものと考えられる
城主家系図
馬田氏は佐々木氏の一族で佐々木泰清の長子、佐々木義重(隠岐義重)の子の三郎頼重が大東庄地頭土屋氏の娘との結婚を通じて大東庄に進出して、在地の馬田を苗字とするようになったのが始まり。
所感
●最初岩熊城という標識があったのでおおこれはと思い攻城を開始したが、矢印の方向に進み、竹やぶの中に突入、その後、諦めたが別の道があったので進むと城域を発見。
●城の規模をそこそこ大きくまた遺構もしっかりと残っている。
●城の広さも大きく東西でいうと300m以上あると思う。
●竹やぶが無ければもっと分かりやすい。
関連URL
近隣の近松城。
参考URL
参考文献
『大東町の遺跡Ⅰ』春殖 幡屋
『新大東町誌』
『島根県中近世城館跡分布調査報告書』
『日本城郭大系』14
『島根県の地名』
『島根県地名大辞典』
『出雲の山城』
『萩藩諸家系譜』
『萩藩閥閲録』
『毛利八箇国御時代分限帳』
公開日2022/01/02