城データ

城名:近松城

別名:大西城か

標高:80m

比高:30m

築城年:室町時代

城主:立原氏

場所:島根県雲南市加茂町近松字立原

北緯:東経:35.331947/132.923872

近松城はここ

 

 

攻城記

近松城全景。

西の筋にある民家の裏を通り進む。

本丸の南にある堀切。

本丸。

 

竹藪があり見通しは悪い。

本丸の土塁。

周辺部。

 

余湖図【近松城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

赤川の流れに突出する低丘陵の先端に位置する。

 

南後方の尾根続きを大きな堀切で切断し、奥まった高所を主郭としている。

 

東側の郭群は近世以降の上砂採掘で消滅した。

 

郭はおよそ円形に配し、西側の郭群との間に抱かれた緩斜面の空間は土塁で囲まれている。

 

立原氏の居城と伝わる。大西城と呼ぶのはこの城か。

島根県教育委員会『島根県中近世城館跡分布調査報告書』より引用

 

近松城

近松城は加茂町近松地区にあったが、城山には長さ一一〇mで高低差二二m ほどの四段の平坦地がある。

 

西方の麓の地を「殿田」といっているが、ここに城主の館があったものと思われる。

 

付近の妙栄寺の周辺に無数の五輪塔が散在しており、地元では「殿様の墓」 といっている。

 

『日本城郭大系』14より引用。

 

城の歴史

特別な歴史は無いが城主が立原氏であればそれに関係して沢山の歴史があったと思われる。

 

城主家系図

 

城主石高

尼子氏分限帳では中老衆 美作之内 二万三千石とある。

 

所感

●城には堀切もあり遺構はしっかりしている。

 

●城の規模もしっかりしており、有力家臣の1人として勢力があったのが分かる。

 

●島根県教育委員会『島根県中近世城館跡分布調査報告書』ではこの城を大西城と呼び、大西氏の居城としている。

 

関連URL

【島根県】岩熊城【雲南市大東町養賀字岩熊】

近隣の山城。

 

参考URL

城郭放浪記(出雲近松城)

武家家伝(立原氏)

立原久綱(ウッキペディア)

源行近のブログ(立原氏研究)

 

参考文献

『島根県中近世城館跡分布調査報告書』

『日本城郭大系』14

『島根県の地名』

『島根県地名大辞典』

『出雲の山城』

『萩藩諸家系譜』

『萩藩閥閲録』

『毛利八箇国御時代分限帳』

公開日2022/01/02

 

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