はじめに
自宅の蔵に江戸時代の古書がありませんか?
都会に住んでいると蔵がある家はありませんが、田舎に行くと蔵のある家は案外あります。
自分の田舎の家やその本家の家などの蔵や屋根裏などにはひょっとしたら、江戸時代の古書が長い間眠っている場合もあるかもしれません。
私の家も何故か古い古書がありました。
※父親が現在の家に持ってきています。
算法絹節 浪華松岡先生著 とありました。
インターネットで調べると、古いものでした。
松岡良助能一著 文化3年序刊というものが出て来ました。
良介:通称
能一:諱 でしょう。
朝日日本歴史人物事典によれば
松岡能一
と記載されています。
ただ、一番裏を確認すると、浪華 松岡常八 とありましたので、実は松岡良助に縁の人物が出版したと思われます。
嘉永五年壬子三月吉日 とありました。
嘉永五年:1852年
今から150年以上前の古書になります。
内容は和算の本ですが、印刷にしては崩し字でなかなか大変な本です。
崩し字の読み方
また、本主として住所(村名)と屋号と高祖父の名前が記載されていました。
古書から分かること
本の内容は不明ですが、この古書を通じて以下の事が分かります。
●本主は高祖父。
●1852年当時に高祖父が所有していた。
●当時高祖父は20代から30代位と推測。
●和算の書物であり、この難しい書物を読んでいたとなると、最低限の読み書きは出来る、かなり高度な和算が理解できる人物。
●1852年当時、高祖父は村名が記載していたところに住んでいた。
●屋号が記載されているので、この地域では名字を公称出来ないが私称もしておらず、屋号がメインであった。
●名前が戸籍の表記と違うが、昔では往々にあること。
また、伝承や戸籍で以下の事が伝えられています。
●天秤棒を担いで行商に出ており、小間物などを扱っていた。
●村の若い娘と懇ろな関係になり、子どもが出来たので、そこの村に根付いた。
●戸籍では高祖父の最初の子どもが安政六年:1859年に生まれていたので、7年後には現在の地にきた事になる。
●妻である高祖母は天保九年:1838年に生まれているので、同い年として1852年当時数えで15才、2~3才年上でも二十歳になっていない。
疑問や謎
●このような和算の難しい書物を二十歳前後の人物がどうやって内容の理解をしていたのか?
●一般的な農村地帯で学を身につけるというのは、想像出来ない。
●ひょっとしたら、江戸時代の人間は数は多くないかもしればいが、和算を出来る能力のある人材が普通にいたのかもしれない。
古書一つからここまで高祖父の肉づけが可能となります。
高祖父は明治17年に亡くなっていますので、壬申戸籍にしか記載がありません、また市町村史などにも記載されていません。
通常であれば、これ以上の事は困難になりますが、たまたま、高祖父が本を所有して、尚且つ、住所や屋号まで記載されていますので、高祖父の人間性も少し見えてきました。
ほんの少しの些細なことですが、このような事実の積み上げが結果的に大きく先祖探しを進展する秘訣ではないでしょうか?
まとめ
①自宅や田舎、本家の家に古書が無いか確かめる。
②あれば、内容の確認を行い、本の中に名前や備考などの記載が無いか確かめる。
③本の内容から、所有舎を推測し人間性を読み取っていくことも可能。
④古書なので崩し字の勉強からじゃないといけない。
公開日2019/08/04
更新日2021/08/01