迫田家
私の高祖父の実家です。
私の父の父の母の父の実家。
大学時代に戸籍で安田村という場所にいたことは判明していましたが、実際に電話帳で調べてみても安田には迫田はありませんでした。
その代わりに、隣村に一軒ありましたが、まあ関係ないものだと思い、そのままにしていました。
2004年に苗字もそんなに無いものだと想い駄目元で手紙を書きました。
なんと、手紙を書いたその家が安田村の迫田さんが直系卑属ではありませんか!ということで、家に伺うことになりました。
当主の方は20年前に亡くなっていましたが、その奥さんがまたご健在で、いろいろなことを教えてくれました。
また、位牌も確認してノートに記載して帰りましたが、まだデジカメで撮るという認識がなく、撮らなかったのが悔いの残るところです。
奥様への質問で以下の事が判明
●昔は分限者だったが、先祖の人が大酒のみで、財産を全部酒でつぶして土地がなくなった。
●その為、安田村に織られずに隣の隣村に引っ越したのだ。
●奥様の義父に当たる方は若い時に盲腸で亡くなった。
※よって結婚した時には既にいなかった。
という貴重なお話をして頂けました。
位牌も多く有り、1つ漏らさずに一生懸命ノートに転記した思い出があります。
なぜ、こんなに奥様が親切なのかというと、実は町の老人施設で面識があり、お互いのことを知っていたからです。
なので、私のことを説明すると、「あ~あそこの孫か」となり信頼して頂けました。
また、お墓の場所も教えて頂きました、最初は新墓でしたが、旧墓の存在も確認して、旧墓にも案内して頂きました。
※旧墓では1750年代まで遡れました。
迫田家の墓所
旧墓の場所は民家の裏にあり、通常では絶対に分からない場所でしたので、奥様に教えて頂き判明しました。
早速、お墓の彫ってある文字を書き写して、また位牌にその方がいるかどうかを確認しました。
江戸時代のお墓には俗名や続柄などがありませんので、このままでは、判読出来ないと思い、菩提寺のお寺に不躾ながらも確認の依頼を尾根廃しました。
こちらの熱意が伝わり、迫田家の先祖をピックアップして頂けました。
そうすると、遡ることは出来ませんでしたが、俗名や続柄が判明して推測家系図が作成出来るレベルまでになりました。
この時は時間も無く、取りあえずお墓の彫ってある文字がお寺の過去帳にあるかどうかの確認レベルでした。
更に新発見!!
2019年になって、ひょっとしたら更に遡れることが出来るのではないか?と想いこの菩提寺にお手紙を出しました。
①10年位前に一度伺い戒名をピックアップして頂いた。
②しかし、その時にはそれ以前の戒名の調査をしていなかった。
③ひょっとしたら更に昔の先祖の名前が記載されているかもしれない。
④つきましては更に昔の先祖が記載されていないか確認して欲しい。
丁寧にこちらの調べたい理由を説明して手紙を送付しました。
当然自分の知っている先祖は時系列で入力したものを一緒に送付しました。
結果、前回では分からなかった先祖がどんどん出て来ました。
そしてもう1世代遡ることが出来ました!!
本当に感謝です。
後日談
この迫田家、本家は村に残りましたが、分家は戦前に九州に転居しました。
何か手がかりが無いかを調べましたが、SNSで子孫ではないのか?という方がおられたので、連絡をさせて頂きました。
結果的には何も分らないとのことでしたが、10年前に先祖探しでSNSを使用するという事を発想していませんでした。
先祖探しという昔の事を調べることでも、最新の技術を駆使して調査することに、興味深さを感じました。
学んだこと
●養子先の戸籍に一行、迫田浪右衛門二男入籍スと記載されていただけの情報。
●当時興味が無かったのでそこまで調べていなかったが、興味を持って調べると判明することも多い。
●諦めてはそこで終わるが、もうこれ以上出来ないというところまでは調べることで進展する場合がある。
●やはりお寺の過去帳は重要。
●全く面識の無い場合よりは少しでも接点が無いかを調べてから調査を行うと信頼されやすい。
※老人施設で友達だったのは大きかった。