城データ
城名:垰山城
別名:無し
標高:120m
比高:20m
築城年:不明
城主:千葉豊後もしくは上里氏に縁のある人物か
場所:広島県尾道市御調町丸門田
北緯:東経:34.495522/133.113062
攻城記
正典坊の裏山にある。
側面を行くと登り口がある。
この裏山が垰山城。
昔は墓地があったらしい。
山頂に到着。
土塁も若干ある。
麓を臨む。
宝篋印塔や五輪塔の残欠がある。
城でもあり、戦国時代末期には菩提寺として墓があったのかもしれない。
画面左の山が丸山城。
位置関係
open-hinataより【垰山城】
余湖図【垰山城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【垰山城】
城の概要
丘陵頂部に平坦面が広がっている。北側に土塁を備え,中央やや北よりに径1mの凹みがある。
その南に隣接して宝篋印塔の石材や五輪石が数点ある。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
垰山城
標高一四二メートルの独立丘陵に上里里周防守実秀が明応年間(一四九二~一五〇一)に三次より来て在城、四代が居城し、天 正一八年(一五九〇)四月に落城したといい、一族の上里豊後守は天文一三年(五四四)尼子氏が三吉氏を攻めたとき 加勢して功があったという。
上里氏の知行所は郡内では丸門田・丸河南・徳永・植野・今田・大原・綾目・野間・三郎丸の諸村であった(御調郡誌)。
丸山城跡西南には千葉豊後の居城と伝える峠山城跡がある(芸藩通志)。
正典坊
南岸の独立丘陵東麓には浄土真宗本願寺派の円玉山正典坊がある。
同寺はかつて本庄村(現三原市)にあった禅宗願成寺で、初め村内の御調川北側山麓に移ったが、のち現 在地に移転。
享禄年中(一五二八~三二)尼子氏の一族近安源吾正房が出家して了念と号して願成寺に住み、三世了光が浄土真宗に改宗、元亀年中(一五七〇~七三)に現在地に移寺して正典坊と号したという(芸藩通志)。
正徳六年( 一七一六)御調郡寺社縁起帖写(三原市立図書館蔵)には、元亀二年専西のとき禅宗から浄土真宗に改宗したとある。
『広島県の地名』より引用
城の歴史
古文書に記載がなく詳細不明。
城主家系図
伝承なく詳細不明、千葉豊後守が城主とある、しかし、上里豊後もおり、千葉と上里が混同した可能性もある。
そうなれば近隣の丸山城城主の上里氏に関係のある人物が城主の可能性もある。
所感
●資料がなく詳細不明であるが、上里氏に縁のある人物ではないかと推測。
●城の山頂には五輪塔と宝篋印塔の残欠があり、墓所となっていたが、戦国時代末期頃なのか不明。
●墓の形態から戦国時代よりも前の可能性もある、また大きさからもこの周辺で力があった豪族のものと考えたい。
関連URL
近隣の城。
参考URL
参考文献
『御調郡誌』
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2022/05/01