城データ
城名:先条城
別名:無し
標高:274m
比高:20m
築城年:戦国時代か
城主:不明(天野氏縁の人物か)
場所:広島県東広島市志和町七条椛坂
北緯:東経:34.462963/132.665626
攻城記
先条城遠景。
別の角度から。
道がついている。
曲輪が段々になっている。
本丸。
麓をのぞき込む。
神社の跡だと思われる。
石で囲われているのはなんでだろうか。
上から見た場合。
曲輪跡。
隙間から見えた眺望。
位置関係
open-hinataより【先条城】
余湖図【先条城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
四方は崖崩れや民家でかなり破壊されており,また墓地,畑地としても利用されていたため,往時と比べるとかなり改変されているものと思われる。
遺構は頂部の郭を中心に三方に階段状に小郭を配した構造となっている。
頂部には長さ約14m,高さ約1.5mの土塁状の遺構が見られるが,これは東側部分に墓地を造るときに削られたため現在のような形になったもので,もとは郭であったと考えられる。
1郭の西側には三つの郭が階段状に築かれているが,崖崩れなどで変形している。
特に南側は民家建築の際にかなり広く削られているようである。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明。
天野氏に縁のある城だと思われる。
米山城が大永5(1525)年、大内氏により包囲された時にはこの城の前を通過して行った軍もあったであろう。
所感
●志和西と志和東に分岐する道にあり、交通要所であった為見張り的な意味があった城なのかもしれない。
●背後には茶臼山城もあり、その出城の役割があったか。
●逆に北西には椛坂城もありその城との連携を図っていたかもしれない。
●先条城の延長線上に天野氏の居城であった、米山城があり、大永5(1525)年、大内氏により包囲される。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
『賀茂郡史』-中世武士編-
公開日2024/05/19