城データ
城名:丹渡尾城(だんどおじょう)
別名:丹渡城(当時は尾はなかったと思われる)
標高:105m
比高:30m
築城年:戦国時代か
城主:不明
場所:広島県廿日市市上平良~宮内
北緯:東経:34.356401/132.308715
攻城記
現在は開発されて跡形もない。
この辺りも当時は城域だったと考えられる。
ただし、この場所が丘陵だったことは分かる。
かなり土地もえぐられている。
この高さが当時の城のあった高さだと思われる。
遠くから見えると分かる。
下から見上げると印象が違う。
この場所は当時山道ではなかったか?
速谷神社
近隣の速谷神社、地域ではい一番大きな神社。
位置関係
1960年頃の航空写真
戦前の地形図
余湖図【在りし日の丹渡尾城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
城は宗高尾城の同一丘陵上西方に位置する。この城は,丹戸山にあったとする伝承があるが,ここは15m×20mの単郭であり,砦程度の機能しかない。
北麓に削平地が数段あるが,畑地として利用されたのか不明である。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
八 丹渡尾城
丹渡尾城は、折敷畑山から連らなる長尾の峯 にある丹戸山(丹渡谷山)にあったが、記録、伝承ともにとだえて場所が不明になっている。
正德四年(一七一四)佐伯郡宮内村絵図書入帳に初めて見え、古城跡藤掛尾、峰高尾、丹渡尾城記してあり、城は存在していたがいつの間にか 忘れられたものと思われる。
城址がどこであるか文書により推定してみると、文政二年(一八一九)国郡志御編集下しらべ 書出帳に「砂原土橋より上平良村境丹戸山越迄一 三町四三間」とある。
現在の沢ノ尾峠が上平良、 宮内間の峠越えの道で村境でもあり、距離的にも合っているので丹戸山越と思われる。
沢ノ尾峠の西側標高一〇五米の小高い山があり、この山が丹戸山と見られる。
此の山の西麓字丹戸ノ谷を水源とし流れて串戸に至る小川を偕老川といっていたようである。
周辺の各尾根を現地調査したが、城址と思われる場所はなく、この丹戸山の最高所部分が人工的な平壇のようである。
広さは約一二五平方米(三八坪)であるが、雑木が繁り城址の確認はできなかった。
当時の石州道は、速谷神社脇から長尾の峯を通り横道、折敷畑山の南から黒折に通じており、又、長尾の峯を横ぎる場所でもあり、交通の要地を固めるために 丹渡尾城が築かれたものであろう。
『桜尾城とその時代』より引用。
城の歴史
詳細不明。
所感
●現在は病院、ドラッグストア、ホームセンターとなっている場所が当時の城域か。
●現在跡形もないが、丁寧にみていくと、比高さなどが分かり、この場所が山の上で眺望がきくのが分かる。
●速谷神社側面の道が当時からの道でもあり、要所を抑えた城との見方もできる。
●近隣の城とも連携を取っていたと思われる。
関連URL
参考URL
参考文献
『棚守房顕覚書付解説』
『桜尾城とその時代』
『廿日市町史』
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/03/17