城データ
城名:檜木城
別名:無し
標高:114
比高:54
築城年:
城主:阿曽沼興郷、阪山三四郎
場所:広島市安芸区瀬野南
北緯:東経:34.419800/132.603543
攻城記
檜木城遠景。
山頂までは道があるので全然問題ない。
工事前は堀切があったところ。
北の曲輪に向かう。
北の曲輪。
そこそこ広い。
一旦堀切跡まで戻り、南の曲輪に進む。
さっき通ってきた道。
この先に本丸がある。
本丸土塁。
土塁上。
しっかりした土塁が残っている。
堀切跡まで戻る。
本丸南を降りたところにも堀切っぽい跡が確認できる。
位置関係
open-hinataより【檜木城】
余湖図【檜木城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【檜木城】
城の概要
本城跡は、瀬野川南岸の鉾取山(標高676m)山系から北へ派生した尾根のうち、瀬野川に突出した丘陵上に位置している。
土塁に囲まれた1郭の北側に郭を置き、南北を堀切で区画している。その北にも郭を配している。
城主は、阿曽沼興郷、阪山三四郎と伝えられている。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明、瀬野川沿いの城で見通しもよく、連絡用の城として機能していたものと考えられる。
城主は、阿曾沼興郷であるが、正式の家系図では記載がないが「興」の字から大内義興から偏諱されたと考えられる。
阪山三四郎については不明。
所感
●電波塔があり山頂まですぐに到着できる。
●瀬野川からだと比高もあり、見張り城としての機能を十分有している。
●土塁の遺構がしっかりと残っており見ごたえがある。
関連URL
参考URL
参考文献
『広島市安芸区瀬野町・中野町所在 三ツ城跡発掘調査報告』
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/02/23