城データ

城名:宗像八幡城

別名:無し

標高:97m

比高:83m

築城年:不明

城主:不明(阿曽沼氏縁の人物か)

場所:広島県安芸郡海田町寺迫2丁目

北緯:東経:34.372768/132.555900

宗像八幡城はここ

 

 

攻城記

出崎森神社を目指す。

神社の裏山を登っていく。

勾配は急ではなく登りやすい。

道もある。

本丸方面を望む。

本丸、藪化もしておらず見やすい。

下をのぞき込むと曲輪がある。

そこそこ広そうな曲輪。

下の曲輪。

本丸方面を見上げる。

竪堀?

 

位置関係

 

 

open-hinataより【宗像八幡城】

余湖図【宗像八幡城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

『芸藩通志』【宗像八幡城】

 

城の概要

城跡は東から西に延びる丘陵の先端部に位置する。

 

東側尾根続きには堀切等の城域を画す施設はない。

 

最高所の1郭は20m×13mの規模で,南端に3m×4mの櫓台がある。

 

1郭の南下に小郭(4m×3m)と2郭(5m×13m)があり,2郭の西側に3郭(5m×3m)がある。

 

これらの郭の段差は小さい。1郭の西下に4郭(12m×8m)があり,4郭の南並びに竪堀を挟んで5郭(17m×5〜12m)がある。

 

ここから1郭の北東下まで帯郭が続いている。

 

1郭の北下に小郭が二段平行して並び,北下へ向けて連絡道がある。

 

北尾根上には郭が三つ並んでいる。この方面の連絡道の一部に桝形状の虎口がある。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

城の歴史

詳細は不明であるが、阿曾沼氏の勢力範囲の為、縁の人物が城主だったと思われる。

 

伝承では715年に出崎森神社が筑前(福岡県)の宗像社から勧請される

 

所感

●出崎森神社を目印に行き、その裏山を直登すればいける、比高も高くない。

 

●近隣には安井城、串山城とあり、これら3つの城と連携を取っていたのかもしれない。

 

●木があるので見通し悪いが、無ければ前方に日浦山城が見える。

 

関連URL

【広島県】串山城【安芸郡海田町寺迫】

 

参考URL

広島県のお城(宗像八幡城)

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

 

公開日2024/02/04

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