城データ
城名:串山城
別名:荒木城
標高:63m
比高:60m
築城年:建武3年(1336) 海田町歴史年表より
城主:串山肥後守
場所:広島県安芸郡海田町寺迫
北緯:東経:34.369748/132.548914
攻城記
住吉神社から攻城。
神社の裏から直登。
比高は低いのでまだなんとかなる。
最初の削平地に到着。
ここも曲輪の跡か。
墓自体は江戸時代のものであった。
この上が本丸方面。
頂上に登るのは比較的楽。
長大な曲輪を進んでいく。
串山城にある大きな井戸。
かなり深そう。
危険なのが伝わってくる。
山頂に到着。
本丸付近も散策しやすい。
本丸から降りてみる。
堀切。
本丸方面を望む。
串山城全景
位置関係
open-hinataより【串山城】
余湖図【串山城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【串山城】
1960年代の航空写真
本丸付近から長大な曲輪も当時は木が少なかった。
中世の海岸線
城の概要
城跡は南から北に延びる丘陵の先端部にあり,尾根続きを堀切によって分断しているが,堀切の南側は住宅団地となっており,全容が把握できない。
最高所の1郭は20m×15mの規模で,南側には11m×8mの小郭と堀切が設けられている。
1郭の東北下に2郭(50m×10~18m)があり,井戸が残る。2郭の北東に少しの段差で3郭があり,45m×10mの規模である。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細は不明であるが、阿曾沼氏の支城として機能していたと思われる。
所感
●中世は串山城の麓まで海であり、海岸方面の見張りの役目もしてたのかもしれない。
●また、野間氏との所領が接しているため、そちら方面への警戒も出来たと思われる。
●阿曽沼氏の家臣の串山肥後守について調べたが古文書等にはでてこなかった。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/02/03