城データ

城名:串山城

標高:132m

比高:125m

築城年:不明

城主:不明

場所:広島県広島市東区光町光ヶ丘

北緯東経:34.405893/132.477941

串山城はここ

 

攻城記

車で頂上まで上がることが可能。

 

二葉山平如塔

この広島市二乗山平和塔は、人類の幸福と戦争のない世界の恒久平和を念願し、史上最初の原子爆弾の犠牲者二十数万の冥福 を祈り平和の聖者釈尊の御真骨を奉配して建立されたものであります。

 

昭和二十九年四月、日本山妙法寺山主藤井日達聖人により地鎮祭が行われましたか、 その後、十二年を経て昭和四十年地元の 開拓団の方々が、各自の土地の一部を売部 して建設資金をつくり、日本山妙法寺や 有志の協力により完成し、昭和四十一年 八月五日に落慶式と広島市への寄贈式か 行われました。

 

塔内にはインドのネール首相より贈られ た仏舎利が一粒、モンゴル仏教徒やセイロン国(現スリランカ国)より贈られた各一粒 も併ぜて奉安されています。

 

正面の仏像は、 昭和四十一年五月、セイロン国から贈られた ものです。

 

また県市民の平和の願いをこめ た祈念石数万個も収納されています。

 

なお、標高百三十九米の山頂のこの地は、 半地下式の大型高射砲四門がすえられてい たところです。

 

公園部分になっており往時の姿はない。

前方に見えるのは黄金山(仁保城)

【広島県】仁保城【南区仁保町】

 

戦国時代当時は一面海であった。

本丸から西に降りた場所に削平地がある。

本丸部分を見上げてみる。

この周辺部は岩石が多くある。

東の曲輪群へ突入。

段差がしっかりある、その先にも曲輪があることが分かる。

降りたところ、綺麗に加工された削平地。

上を見上げる、切岸もしっかりと残っている。

更にもう一段降りて見る。

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open-hinataより【串山城】

 

余湖図【串山城】

 

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

概要

現状で郭が四つ確認できるが

墓地・仏舎利塔、宅地などにより破壊を受けており、現状を把握することはできない。

広島県中世城館遺跡総合調査報告書より引用

 

城の歴史

不明であるが『芸藩通志』に「串山 牛田村にあり」との記載がある。

 

所感

●仏舎利があり遠方からでも見えるが現地についてその大きさに驚く。

 

●散策コースになっており、色んなルートから登れる。

 

●本丸部分は破壊されているが、数カ所の曲輪は残っている。

 

●戦国時代にこの地を治めていた人物が不明であるので詳細不明。

 

参考URL

城郭放浪記(安芸串山城)

open-hinata

 

参考文献

『広島県の地名』

『芸藩通志』

『日本城郭大系13』

公開日2021/02/20

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