城データ
城名:尾越城
別名:無し
標高:44m
比高:24m
築城年:不明
城主:不明(武田氏の出城か)
場所:広島県広島市安佐南区相田
北緯:東経:34.469979/132.443516
攻城記
正伝寺の裏山になる。
正伝寺のクロガネモチとして有名。
985年に「恵空」が、武田山の北麓に阿弥陀寺を建てたのが始まりと言われています。
銀山城主武田信宗の菩提所となってからは、光賢寺と称して、同氏の厚い保護のもと栄えました。
敷地内のクロガネモチは、福島正則が朝鮮の役の時に持ち帰った苗木を植えたものといわれ、広島県の天然記念物に指定されています。
「あさみなみ散策マップ」より引用
奥にあるが行けそうにない。
お寺の裏庭からみた風景。
何となく行けそうな気がするがやめとく。
お寺の側面を確認。
ほぼ直角になっており断念。
小川が流れている。
正伝寺の北には安川があり堀の役割をしている。
現在の尾越城。
1960年代の尾越城。
位置関係
open-hinataより【尾越城】
余湖図【尾越城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【尾越城】
拡大図、尾越が地名だったのが分かる。
城の概要
本城跡は、武田山(標高410m)から北西に派生した丘陵先端に位置し、前面には安川が作り出す沖積地を望むことができる。
また、直下には、武田氏が安芸国へ来た時に、建立されたと伝えられる正伝寺がある。
最高所の1郭から北へ階段状に東西に扁平な郭を三つ配し、北東側へ少し離れた斜面上に一つの郭を配している。
また1郭背部は堀切で尾根を断ち切り、西側斜面は急斜面となっている。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明であるが以下伝承がある。
天文10年(1541)の落城時の事、銀山城を攻めるにあたり、毛利元就は火をつけた1000足の草鞋を太田川に流した。
籠城する武田軍が戸坂方面に気を取られている最中に、銀山城の搦手にあたる、正伝寺にあらかじめ調略を仕掛けておき、鐘で籠城側に知らせない様にしておいた。
そうとも知らずに籠城軍は表ばかりに気を取られて、背後から奇襲を仕掛けて落城したとのこと。
尾越城もこの時に調略されたのであろうか?
所感
●出城と思われるが、何かあれば本城に知らせる為の城だったか。
●城の西側からの侵攻は困難であり、一定の防衛は出来たのかもしれない。
●正伝寺も武田縁の城であり、安佐南区には縁の寺が多い。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2023/02/19