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城データ

城名:麦田八幡神社(銀山城の出城?)

別名:無し

標高:25m

比高:15m

築城年:1540年頃か

城主:麦田氏

場所:広島県広島市安佐南区大町

北緯:東経:34.464953/132.463786

Google マップ (Google Maps) で緯度経度を指定して場所を見つける方法

※C. フォーマット「度(DD)」の場合を参照。

 

攻城記

 

麦田神社遠景

麓には水路があるが当時の堀か。

麓から神社本殿側を臨む。

神社部分に登っていく階段。

側面も綺麗に刈られており見えやすい。

麦田八幡神社の参道。

弘化四年(1847)と古い。

最初の削平地でありここも曲輪の跡にも見えなくもない。

ここから更に上がっていく。

立派な狛犬。

縁結び地蔵とお助け地蔵がお出迎え。

ここが曲輪じゃないかと思う位削平地がある。

 

 

本殿。

本丸としても機能出来る広さ。

本殿奥。

他の神社も一緒に祀られている。

神社の家紋が厳島の神紋(三つ盛り二重亀甲に剣花菱)と一緒に縁を感じる。

境内。

前方の山は銀山城のある武田山。

本殿裏側から下を臨む。

降りて見上げるが切岸のようにも見える。

周囲をこのような感じで取り巻いている。

堀切にも見えなくもない。

下っていく際にも側道に水路がある。

現在は大町の中でも麦田町内会となっている。

散策するとこのような村境があった。

 

位置関係

 

概要

安芸国守護武田氏縁の麦田氏が、天文年間(1532年~1554年)に社殿を造営し、これを菱山神社と名づけて同家の氏神としたのが始まりとされています。

 

武田氏滅亡後、麦田家もまた滅びたため社号を麦田八幡宮と改め、広く郷土の産土神として祭ってきたと伝えられています。

 

広島市のサイトより

 

菱山神社について

武田氏の縁の麦田氏が天文年間(1532~54)に社殿を造営したとあるが、1541年に武田氏が滅亡しており切迫した折に社殿を造営したとは考えにくい。

 

それよりもお助け地蔵の説明文の中にヒントがあると思われる。

説明文

伝説、古来より当地には勢力のある一族が住まい、 地域には民家が3~4家であったといわれます。

 

当時この地方周辺は海に面していたと言い伝えられています。

 

また、麦田山八幡神社裏道は各地への分岐点にあたり東は備前・備中・備後路へ、西は周防の国山口、津和野方面へ、南は海上を利用し九州路へ、北は出雲の国山陰路方面への別れ道となり行き交う人々が多かったといわれます。

 

当時海岸が付近にあり、古代山陽道がこの道を通っていたものと考え、神社の麓は交通の要所で往来を見張っていた砦のようなものが早い段階であったのではないかと考える。

 

海抜を約9m上げると神社付近まで海が広がっていたことが分かる。

 

旧山陽道の往来ができ始めた頃にはこのような感じであったのかもしれない。

 

当時どこまで海が広がっていたか不明であるが、近隣の「安東」(やすひがし)という場所に「鯛之迫」という地名もありあながち荒唐無稽でもなさそうだ。

 

また年代は不明であるが、この麦田という地域は厳島の神領だったともされる。

 

航空写真や地形図から麦田周辺を探る

戦後すぐの航空写真

現在の麦山神社。

 

戦後の宅地化が進み、住宅が増加しいているが、戦後すぐの写真を見ると、先端部分が盛り上がっており砦には最適な立地条件となっている。

 

大正14年地形図(麦田と表記あり)

明治27年地形図

道が神社の西側を通っていることが分かる。

 

『芸藩通志』における「麦田」

 

麥田」と記載されている。

 

麦田氏について

麦田氏で検索すると全国に950人位いるが希少姓である、一番多いのが広島県であり、約40世帯位いるとされる(2012年頃)

 

しかし、広島市にはほとんどおらず大半は福山市に多い。

 

全く違う麦田の系統なのか、麦田一族が何かしらの縁で福山方面に行ったのかは不明。

 

因みに麦山、菱田、菱山の姓も存在する。

 

「麦」と「菱」の違い

「麦」の旧字は麥」である、「菱」に似ている。

 

草書にすると更に似ている。

ひょっとしたら武田氏の勢力が大きな頃は「菱田氏」であったのが武田家滅亡時に「麦田氏」に改名したと想像もしてしまう。

 

まあ、地名が「麦田」なのでその可能性は低いかもしれない。

※武田氏が武田菱も使用しており「菱」に縁があったので妄想してしまった。

 

神社麓に流れている水路について

神社麓には小さな水路が流れている。

 

農業用水(八木用水)かもしれないが神社麓の方に話を伺ったところ、「この神社は昔はお城で堀もあったと聞いたことがある」とお聞きしてその可能性もあるのかもしれない。

 

この水路が当時堀だとしたら興味深いが今となっては調べようがない。

 

所感

●往古の時代に「麦田」の地は厳島神領の地であった。

 

●当時この地域に神社があってもおかしくはない。

 

●その後武田氏の押領があり、厳島神領から武田氏の支配下となる。

 

●武田の親類衆である麦田氏がこの地を支配し、神社のある部分にも神社兼砦などがあったのではないか?

 

●武田が滅亡後に麦田氏もいなくなり、いつ頃からか神社として復活したとも考えられる。

 

●その発生の経緯から厳島の神紋を使用していたとも考えられる。

 

 

関連URL

【広島県】土居城【広島市安佐北区安佐町大字飯室】

本丸にいく前に曲輪があるのは土居城(土井泉神社)と同じ造り。

【広島県】銀山城【広島市安佐南区祇園町】

武田氏本城である銀山城。

 

参考URL

銀山城支城?麦田八幡神社 – – 安芸の夜長の暇語り – 

厳島神社(ウッキペディア)

大町(ウッキペディア)

棚守房顕覚書60 神領のこと

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

『棚守房顕覚書 : 付・解説』

 

公開日2022/10/22

 

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