城データ

城名:千丸松城

別名:無し

標高:468m

比高:70m

築城年:不明

城主:和智氏

場所:広島県府中市上下町国留

北緯:東経:34.690868/133.102597

千松丸城はここ

 

攻城記

麓の八幡宮から進んでいく。

国留八幡神社

国留八幡神社

神社の南西の尾根を直登して登る。

直登して山頂付近まで到達、大岩もあり雰囲気がある。

もう少しで本丸。

曲輪跡。

本丸跡。

削平地はあるが、特段大きな加工は無い。

先まで進むとこのように降りていく。

本丸付近の曲輪。

本丸付近を臨む。

 

open-hinataより【千丸松城】

 

余湖図【千松丸城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の概要

最高所の1郭から北に2段,南に5段小郭を直線的に配する。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

重要文化財

 

国留八幡神社棟礼

 

所在/上下町字国留

 

府中市指定/昭和五十六年二月十七日

 

当社に保蔵する棟札は上下町最古の明応五年(一四九八)再建棟礼、千丸松城主(城跡は神社のすぐ西側の山)で県北の豪族和智氏再建を伝える

 

天文十六年(一五四七) の棟札等弘化三年(一八四六)に至るまで二 十四枚あり、村の歴史史、祭礼制度の変遷を物語るものである。

 

昭和五十六年 三月十日

 

府中市教育委員会

 

八幡宮の看板より

 

千代丸城(和智城)⋯国留にあり、和智和泉守入道長元、同豊後守元氏、同元長など元亀3年声田郡父石村に移つた。

 

『廣島郷土史談』より引用。

 

城の歴史

詳細は不明であるが、八幡宮の棟札では明応五年(一四九八)再建棟礼があり城主が和智氏であることから当時和智氏が勢力を保持していたものと考えられる。

 

所感

●和智氏の勢力範囲がこの地域まであったことを指し示す。

 

●確かにこの地域に和智氏がいることは墓でも分かる。

 

 

関連URL

【広島県】龍王山城【三次市甲奴町本郷】

近隣の山城。

 

参考URL

城郭放浪記(備後千松丸城)

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

公開日2022/09/03

 

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