城データ
城名:高木山城
別名:沼田城
標高:30m
比高:15m
築城年:不明
城主:沼田次郎、内藤実豊
場所:広島県三原市本郷町下北方
北緯:東経:34.406272/132.970464
※C. フォーマット「度(DD)」の場合を参照。
攻城記
前方の小山が高木山城。
川も天然の堀の役割をしている。
上に登ると削平地がある。
麓を臨む。
曲輪の側面は急になっている。
曲輪の後ろは堀切になっている。
堀切部分。
堀切の先に進む。
ここも曲輪だと思われる。
矢竹が繁茂している。
更に進むと墓地がある。
往時はここも曲輪だったと思われる。
降りて上を見上げると分かりやすい。
ここも城跡の一部だと思われる。
高木山城全景。
余湖図【高木山城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【高木山城】
城の概要
城の背後(北側)を画す堀切と土塁が残る。
なお,城跡の背後にも一部平坦面が広がっており,城域が北側に延びる可能性もある。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
元暦年間(1184~1185):伊予国の河野通信は、母方の伯父沼田次郎を頼って安芸国に渡り、この城に籠って平教経に対抗したが敗れた。
元弘年間(1331~34):桜山慈俊が攻略し家臣内藤実豊に守られたが、小早川氏によって攻略され、実豊は討死した。
所感
●現在は墓所になっているが、当時は長大な郭であったと思われる。
●交通の便もよく、戦国当時は城の麓の道を通っていたと思われる。
●比高は15m余りであるが、見晴らしがよい。
関連
近隣の城。
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2022/08/06