城データ
城名:茅城
別名:無し
標高:370m
比高:70m
築城年:不明
城主:福場備前守、秋山氏
場所:庄原市総領町亀谷
北緯:東経:34.782984/133.089497
攻城記
茅城全景。
藪化もしておらずそのまま進んでいける。
本丸部分には祠がある。
曲輪跡。
堀切。
しっかりした造り。
こんもりした山で典型的な戦国の山城。
位置関係
余湖図【茅城、井原城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
高所の1郭とこれを取り巻く郭群から城の中心部が構成される。ここから東と南の尾根続きには2条の堀切を配している。
北西に延びる尾根には5段の郭を置く。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
室町(1532)~慶長5年(1600)毛利氏が萩に赴くまで、福場備前守などが居城した。「芸陽六郡志(外志)」
看板より
城の歴史
古文書などに記載が無いので詳細不明。
天文13年(1544)に近隣の田総にて尼子氏と毛利氏が激突して戦になっている。
『毛利家文書283』の一部。
秋山備前守朝綱という人物が永禄7年(1564)頃に茅城に居城したという記録がある。
所感
●こんもりとした山であるが、丁寧な曲輪の造り、しっかり堀切など実践を想定したものになっている。
●この地域は尼子氏の侵攻もあったため、緊張感も増し侵攻に備えて防備を固めた城となったのかもしれない。
●城主の福場氏や秋山氏の詳細は不明。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2022/04/03