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城データ

城名:有田城

別名:茗荷丸城

標高:370m

比高:40m

築城年:戦国期以前

城主:有田氏、小田信忠

場所:広島県山県郡北広島町有田

北緯:東経:34.670739/132.530306

Google マップ (Google Maps) で緯度経度を指定して場所を見つける方法

※C. フォーマット「度(DD)」の場合を参照。

 

攻城記

 

有田城跡と有田合戦

有田城跡山頂には4つの郭と、郭の北西端を固める土塁が残っている。

城主は、山県一族有田氏と思われ、東の壬生氏・西の今田氏とともに、室町から戦国時代初期にかけてこの地域を支配していた。

 

永正12年(1515)、中国地方に大きな勢力を持っていた山口の大内氏に対し、銀山城の武田元繁が反旗を翻し、壬生氏・有田氏・今田氏も従軍した。

 

これに対し、大内氏の命を受けた郡山城の毛利氏によって有田城は攻撃され、落城した。

1516~17年に有田城奪回を目指す武田氏と、毛利・吉川氏の間で、有田合戦が繰り広げられたが、武田元繁は戦死、山県一族の壬生・有田・今田氏も没落した。

 

元繁戦死の地の碑は、現在又打川河畔にあるが、今田、中井出など異説があり、確定できない。

 

この有田合戦は、武田氏の威勢を失墜させることとなり、逆に毛利氏は安芸国人の中に占める地位を固め、初陣を飾った元就自身も毛利家家督相続の足場を築くこととなった。

芸北東部広域観光連絡協議会

千代田町観光協会

 

三の丸。

焼け米ので出た場所。

戦があったことを物語っている。

二の丸。

本丸。

茗荷丸。

手前の小川が又打川で武田元繁が越えようとして射抜かれた場所。

前方の山が壬生城。

拡大。

有田城矢竹。

有田八幡神社

 

熊谷元信墓

 

位置関係

 

余湖図【有田城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

『芸藩通志』【有田城】

拡大図。

 

城の概要

城の遺構は風化や土砂崩れによる破壊が見られるため,縄張の特徴は見出しにくい。

 

1郭は物見郭と思われる。2郭の北側には堀切へと続く道の入口をめるように土塁が設けられており,西側部分は3郭まで延びている。

 

4郭は15m×85mの長大な带部に復原でき,各郭を結んでいる。

 

城主は山県一族有田氏と思われる。

 

東の壬生城・西の今田城とともに,室町から戦国時代初期にかけてこの地域の交通・在地支配をセットで担っていた。

 

1515(永正12)年武田元繁の己要害攻めに山県民部・有田氏・今田氏が従軍したので,大内氏の命を受けた毛利氏によって有田城は攻撃され,落城した。

 

1516〜17年には,武田氏による有田城奪回作戦が行われたが,毛利・吉川両氏に阻まれ,山県一族有田、今田両氏も没落した。

 

その後の使用については不明である。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

有田城

有田城は、八重盆地の西方を画する丘陵上にある山城で、永正年間(一五〇四~二一)に毛利元就が安芸守護武田元繁を破った,”西国の桶狭間”とも呼ば れる有田合戦の舞台として知られている。

 

可愛川の支流志路原川と冠川の合流点西側の丘陵上にあって、水田面からの わら 比高は約四〇mでかならずしも高くはないが、山麓には広い耕地が開け、東方には壬生、南方には本地の各平野を見渡すことができる。

 

当城の歴史については、永正十四年に、有田城とその山麓で行なわれた有田 戦以外はほとんど明らかではない。

 

この合戦は、有田城主小田信忠の変心をもって安芸守護武田元繁が五千の大軍で攻めた際、毛利元就が有田城が落ちれば東隣の吉田・多治比などの毛利氏の所領も侵されるとして有田に出陣したもので、有田城山麓の中井平に陣を張った武田方の高松城(広島市可部町)の城主熊谷元直を急襲して討ち、ついで武田元繁の本陣に迫った。

 

戦闘中に元繁が又内川で流れ矢に当たって戦死し、毛利方の勝利となった。

 

わずか一日の戦闘で安芸守護を名のる武田氏を破ったことから、それ以後、毛利氏は急速に勢力を 伸ばすことになった。

 

そして、有田城も毛利氏の支配下に入ったものと考えら れるが、記録上は明らかではない。

 

有田城は、比較的ゆるやかな丘陵の頂部を利用したもので、頂部の両側に二つの郭を並べ、その南側にやや広い二つの郭を配置し、それを帯郭でつないでいる。

 

背後は北側に延びる尾根を二本の空場で区切り、人工のほとんど加わらない後城・中城・孤城を配している。

 

また、前面には二本の竪掘を設けて防備を固めている。

 

山麓には長さ五〇m近い広大な郭があり、居館があったものと考えられ、北側寄りには菩提寺跡と考えられるものもある

 

『日本城郭大系』13より引用。

 

【城史】

この城は、室町期国人領主有田氏の本拠であった。有田氏は、この地域に伝統的に勢力を有した山県凡氏の後裔で、室町期には同族の壬生氏・今田氏とともに連携して勢力を維持していた。

 

戦国前期に、高橋氏・毛利氏・ 吉川氏・武田氏が山県表に勢力を伸ばす中、永正十二年 (一五一五)有田氏は武田元繁の己斐要害攻めに壬生氏・ 今田氏とともに従軍した。

 

そこで、大内氏の命を受けた毛利氏によって有田城は攻撃され落城、毛利氏は吉川氏に有田城を与えた。

 

翌永正十三年(一五一六)、武田氏は有田城奪回に向かうが、同十四年(一五一七)に武田元繁が戦死し、有田城奪回は失敗に終わり、有田氏は没 落したと思われる。

 

『安芸の城館』より引用。

城の歴史

永正12年(1515):武田元繁の号令のもと、己斐城を攻める時に城主の有田氏も従軍したと思われる。この年に攻められて有田城も落城する。

 

永正14年(1517):武田元繁が有田城の奪還を試みるが討死しこの時に有田氏も没落する。

 

城主家系図

『萩藩諸家系譜』より作成。

山県有田氏は山県凡氏の末裔だとされており、山県為綱との関係は不明。

熊谷元直の義弟が有田氏であり、有田合戦に臨んだ。

 

所感

●比高は低いながらも、周囲を見渡せて好立地に位置する。

 

●曲輪のしっかりと造られており、戦闘を意識した感じを受ける。

 

●焼けた米が出てきたとあるので、城での戦闘があったことを物語っている。

 

関連URL

【広島県】壬生城【山県郡北広島町壬生】

 

参考URL

城郭放浪記(安芸有田城)

西国の山城(有田城)

有田城 -安芸の城ー – 秋田の中世を歩く

安芸 有田城跡、武田元繁戦死の碑(よしだっちの城跡探訪記)

有田中井手の戦い(ウッキペディア)

武田氏の栄枯盛衰/有田合戦

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『安芸の城館』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

公開日2022/02/11

 

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