城データ

城名:沼城

別名:無し

標高:355m

比高:2m

築城年:永正年間(1504~21)

城主:上原氏

場所:広島県世羅郡甲山町西上原

北緯:東経:34.588421/133.060709

沼城はここ

 

攻城記

現在民家となっている。

位置関係

拡大図。

戦後すぐの航空写真。

 

open-hinataより【沼城】

 

余湖図【沼城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

中原永安寺古石塔群

周辺の宝篋印塔や五輪塔をまとめたもの。

 

 

城の概要

郭は65m×55mの規模で,北西側が一段高くなっている。

 

周囲は宅地造成やほ場整備が進んだため,堀を確認することができない。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

沼城

世羅台地中央の沖積地にある沼城で、今高野山城主上原氏の館跡といわれている。

 

城の歴史は明らかではないが、今高野山城が築かれたのは永正頃とされてお り、館である沼城もこの頃築かれたものと考えられる。

 

以後は、今高野山城が 廃城となったのちも庄屋屋敷などとして使用されており、現在も宅地として使用されている。

 

城の遺構は、沖積地上に高さ約二mにわたり盛土を行なって、一辺約五〇m の方形館としたもので、西面に方形の造り出しがあり、北・西面をやや高く盛 っている他は、なんら防禦施設はみられない。

 

ただ、周囲の水田は地だったとされており、これが天然の濠の役目をなしていたものと考えられる。

 

周辺には南方約一㎞に上原氏の居城今高野山城があり、その山麓には菩提寺の今高野山龍華寺がある。

 

また現在の世羅・甲山の市街地は市場として 使用されたらしい。

 

『日本城郭大系』13より引用。

 

城の歴史

永正年間(1504~21)頃に今高野山城築城に伴い麓の館として築城か。

 

天正4年(1576):上原元祐が西上原村の沼城 に移ったともあり。

 

天正10年(1580):上原元祐が備中高松城防衛戦の時に、豊臣秀吉に寝返る。

 

城主家系図

所感

●城館跡と思われる。

 

●現在も住宅があり人が住んでいるので、詳しい事は不明。

 

●天正10年(1580)に上原氏が豊臣秀吉に寝返った後は、どうなったか不明。

 

関連URL

【広島県】今高野山城【世羅郡世羅町甲山字古城山】

上原氏の居城である今高野山城。

 

参考URL

武家家伝(和智氏)

上原元将(ウッキペディア)

上原豊将(毛利元就家臣列伝)

open-hinata

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『安芸の城館』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

公開日2022/02/06

 

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