城データ

城名:蕪丸城

別名:奥谷城

標高:280m

比高:50m

築城年:永正年間(1504~21) 1508年に八上城に移るのでそれ以前。

城主:波多野氏

場所:兵庫県丹波篠山市殿町

北緯:東経:35.056122/135.252968

蕪丸城はここ

 

 

攻城記

蕪丸城遠景。

篠山市指定史跡

燕丸城跡(奧谷城跡)

平成六五月二〇日指定

 

室町時代中期、波多野清秀が石見国(島根県)から上京して、室町幕府の管 領、細川勝元に仕え、応仁の乱に際して各地で軍功をあげ、細川政元の時に多紀郡を与えられた。

 

清秀の子稙通の代になって、永正年間(一五〇四〜二一)に八上奥谷に蕪丸城を構え、続いて浅路山(高城山)に八上城を築いたと考えられる。

 

その後、波多野氏は元秀・秀忠・晴道・秀治と続き主として八上城を本城と して活躍し、蕪丸城はその根城的な役割を持ち、奥谷城とも呼ばれるようにな った。

 

蕪丸城は浅路山(標高四五九m)から南へ派生した尾根の先端、東西一五〇m、 前北二〇〇mの範囲の頂上部が結城で西斜面を造成して館を造り、堀団 館背後の水場施設などの城郭遺構が良く残っている。

 

平成八年二月〜三月にかけて道路改良工事に伴う発掘調査の結果、無丸城跡 の大手虎口付近で幅約一〇mの水濠遺構が発見されたことから、八上城側の堀 切と東仙寺川さらに人工的な水濠によって城郭の防御が固められていた状況が 明らかになった。

 

平成九年三月

篠山市教育委員会

 

看板から奥に入っていく。

最初の曲輪。

ここだけでも相当広い。

居館用スペースか。

上がっていく。

10分もしないうちに山頂付近まで到着。(本丸南下曲輪)

更に登れば本丸。

本丸は広い削平地になっている。

下草もなく散策しやすい。

東には堀切もある。

本丸の北には大きな堀切がある。。

当時はもっと深かったと思われる。

かなりえぐられているのが分かる。

堀切から見上げる。

再度本丸に戻る。

小ぶりながらいい形の曲輪である。

比高も高くなくサクサク行ける山城。

遠くには八上城も確認できる。

 

 

位置関係

 

open-hinataより【奥谷城】

 

余湖図【蕪丸城・奥谷城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

城の歴史

石見国の国衆だった吉見氏の一族であった波多野清秀が応仁の乱(1467~77)で戦功をあげて多紀郡を与えられる。

 

管領細川氏の命令で母方の苗字である波多野氏を称する。

 

清秀の子稙通の代になって、永正年間(1504~21)に八上奥谷に蕪丸城を構えるが1508年には八上城を築いたと考えられる。

 

城主家系図

 

 

所感

●小ぶりながらしっかりとした造りになっている。

 

●北に大堀切があるが、その尾根を登っていくと、八上城に到着する。

 

●僅かな期間のみ使用されたと思われる。

 

関連URL

【兵庫県】八上城【丹波篠山市八上内字高城山】

次の本拠である八上城。

 

参考URL

城めぐりチャンネル 奥谷城(蕪丸城)

古城盛衰記(蕪丸城)

波多野氏(ウッキペディア)

武家家伝(波多野氏)

open-hinata

 

参考文献

『兵庫県の地名』

『日本城郭大系』12

公開日2021/10/02

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