城データ
城名:海老山城(かいろうやまじょう)
別名:無し
標高:54m
比高:54m
築城年:不明
城主:宍戸氏
場所:広島県広島市佐伯区海老山町(海老山公園)
北緯:東経:34.361927/132.365666
攻城記
海老山城全景。
三十人の墓(さんじゅうにんのはか)
安芸国の毛利元就と周防国の陶晴賢との「厳島合戦」の前に、毛利氏の家臣に宍戸孫六と呼ばれる武将が海老山に城を築いていました。
陶氏は三万の軍勢を集め毛利氏との合戦に備え、宍戸氏の居城を攻め尊い人たちが犠牲になりました。
その数は30人であったとされ、武士の遺骸は海老山に土葬され、埋葬された後に村民により墓石が建てられました。
今でも桜の木の下には当時を偲ぶ五輪塔が集められ、地元で大切に供養されています。
「いつかいちの民話とくらし」より引用
文責:五日市西国街道散策倶楽部
戦国時代の特徴がある五輪塔。
麓の公園は戦国時代は屋敷跡か。
本丸に向かう。
途中に若干の石積みがある。
曲輪跡。
本丸部分。
石垣は櫓台か。
宮島方面を臨む。
己斐方面を臨む。
周辺部。
余湖図【海老山城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【海老山城】
戦後すぐの航空写真
城の概要
海老山公園の造成により遺構のほとんどが破壊されているが,原状を利用して工事されたと考えれば,城は二つの郭と三つの小郭からなっていたようである。
1郭は54m×20mの規模で,中央に櫓台がある。
1郭南端には石垣を伴う虎口があり、2郭に通じている。
城跡の北側にある丘陵にも城域が広がっていたと思われるが,公園となっているためそれを確認することはできない。
海老山周辺は宅地造成が進んでいるが、城が機能していた時期にはおそらく海であって、広島湾西岸に浮かぶ小島に城が築かれたものと思われる。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
●弘治元年(1555)頃に陶晴賢に攻められて宍戸孫六が討死とある以外詳細不明。
所感
●当時は島だったと思われるがこの島の城にどのくらいの兵が駐屯していたか、また、わずかな兵では到底守り切れなかったのでは。
●佐伯郡の「国郡志下調郡辻書出帳」の古城跡の項に「五日市村 海老山 城主宍戸備前守」とある。
●ここの宍戸氏は安芸高田市の宍戸氏とは別の系統で厳島神領衆の宍戸(本城は五日市城)ではないかと推測される。
●五日市城跡(幸崎城跡 光明寺城跡)は海老山城から北に位置している、今は周辺は民家になっている。
●遺構はほとんどないが、若干の石積みや古い五輪塔から往時が偲ばれる。
関連URL
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『安芸の城館』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2022/01/16