城データ
城名:土岐城
標高:418m
比高:188m
築城年:戦国時代か
城主:不明
場所:広島県安芸郡熊野町萩原字庄賀山
北緯:東経:34.348989/132.600080
攻城記
案内板があり分かりやすい。
ただし、車を止める場所は無い。
登り口に到着。
看板薄い。
由来
「土岐城、同村にあり、此城山の麓に、別に四貫分とよぶ地あり、土岐の外城なるべし」(芸藩通志より)
大永七年(157年)に、熊野万害切落さる。(毛利譜録より)
城跡は、江戸末期は、火山(のろし)として利用された。
吉川村の槌山からの合図を
炒用された。青!村の追山からの合回ち、。奥海田村の屋飛川山へ伝え、広島城に異変を知らせるためのものである。
熊野町教育委員会
道は整備されて歩きやすい。
石段コースを行く。
石段あるが後世のものであろう。
最初の曲輪へ到着。
社がある。
周辺部。
奥にも曲輪あるようだが、藪化しているのでやめておく。
本丸を望む。
本丸到着。
本丸からの風景。
嵩山城も見える。
本丸から一段降りたところ。
本丸の帯曲輪のような感じ。
土岐城遠景。
位置関係
open-hinataより【土岐城】
余湖図【土岐城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【土岐城】
城の概要
土岐城山頂部に城跡はある。1郭は二段からなり,北側に二ヵ所ある通路が2郭に通じている。
2郭には土岐神社があり,三段からなる。2郭からさらに北に降りると土橋を備える堀切がある。
堀切の北側には不明瞭な三段の平坦地がある。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
土岐城跡
熊野盆地のほぼ中央の標高四一八・六 メートルの独立丘陵に位置し、城からは盆地のほぼ 全域をみわたすことができる
山頂部を中心に四つ以上の郭が確認される。
城主は明らかでないが、『芸藩通志』によれば、嵩山城の属城かとされている。
城の南西側山麓部には四貫分城、狐ケ城が位置している。
山頂部から土師質土器小皿、備前焼甕破片が採集されている。
『熊野町史 通史編』より引用。
城の歴史
不明であるが、嵩山城の属城とあるので、同様の歴史だと思われる。
城主家系図
城主不明、嵩山城の属城であれば菅田豊後守の可能性もあり、大内氏の部将が城番をしていたものと考えられる。
所感
●麓から40分位もあれば本丸に到着できる。
●本丸からの景色はとてもよく、当日もハイキングに来られていた方がいた。
●本丸以外の曲輪もあるが、藪化している感じをうける。
●井戸があるらしいが当日は行けず、しかし、井戸と本丸の距離が遠く、立てこもった場合の水の確保が出来たのか不明。
関連URL
近隣の城。
属城。
属城。
参考URL
参考文献
『広島県の地名』
『熊野町史 通史編』
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『芸藩通志』
公開日2021/07/04