はじめに

お墓の場所は様々なところにあると思います。

 

共同墓地、お寺の中、家の裏、特別な場所にあるかもしれません。

 

太陽が燦々に差し込むところから、草木に覆われた場所など。

 

先祖探しで一番重要なツール、それはお墓!!

その中で共同墓地の墓所の場合は位置で家の立ち位置が分かることがあります。

 

共同墓地とは

●明治20年頃から共同墓地という形態が広まっていき、ある程度、広域の場所に集落の家全てのお墓をまとめている。

 

●霊園と同じように「●●家之墓」というものもあるが、別に夫婦が入っている夫婦墓もある(ただし明治以降のものが多い)

 

●墓の立地により、村での地位が分かる場合がある。

 

●お墓に記載している内容としては、明治時代以降の情報が大半で、戸籍最古に記載している人物は少ない。

 

墓石の配置で本家や分家かが分かる場合がある

位置は重要です。

 

本家ほど高いところにあります。

 

分家になればなるほど、下の方や、端の方になってきます。

 

この墓石郡で確認してみましょう。

 

この家では5つの家があります。具体的にはこのような感じになります。

 

 

この墓所では

 

①が一番高いところにあるので、本家的な役割があったのではと思われます。

 

②が①から分家した家ではないでしょうか?

 

③や④に関しては更に②から分家した家と推測されます。

 

⑤に関しては画像では切れておりますが、更に下段で日当たりも良くないところになります。

 

家紋を確認すると、①③⑤は同じ家紋でしたが、②④に関しては違う家紋でした。

①②⑤の家紋

②④の家紋

 

通常で考えると、①②⑤と②④は違う家系だと思われますが、ここがまた複雑なところで、この地域の家紋は上記2つが多い傾向です。

 

私の推測では、古い昔は同族であったが、その繋がりは不明。

 

家紋に関しては戦後新しく墓石を作成する時に伝承の家紋が不明なので、オーソドックスな家紋にしたのではと思っています。

 

特に「抱き茗荷」の家紋は私の母方の家紋は殆どがそうです。

 

上記から、①が本家で②~⑤が分家、その場合、分家の分家も存在する、と判断します。

 

墓石の古さで旧家なのか?分家した家なのか?が分かる

戦後、特に昭和40年代以降に建立したものは、●●家の墓として一族の墓になっているものが多い。

 

こんな風に1家で1つのお墓が一般的です。

 

しかし、明治20年以降に共同墓地の制度が始まりましたので、そこまで古いものはないかもしれませんが、逆に、家の裏などにあったものを、すべて共同墓地に持っていった可能性もあります。

 

これは①の墓所の隣にある旧墓で自然石が多い。

 

恐らく、江戸時代以前の墓石を1つにまとめたものと思われる。

こちらは③の墓石の隣にあるもの。

 

五輪塔の残欠も一緒にある。

 

墓石(自然石)の数も①より多い。

 

この事実から考えると、①よりも③の方が古い家になる可能性がある。

 

ただし、江戸時代以前に先祖では無いが、縁のお墓を一緒に弔っていたお墓の可能性もある。

 

因みに②に関しても五輪塔の残欠があります。

墓石②の五輪塔残欠

 

お墓の大きさでその家が隆盛しているかが分かる

画像の中央にある墓石、明治以降のお墓であるが、かなり大きな墓石で笠までついてある。

 

明治以降に家が隆盛いた家なのかもしれません。

 

共同墓地の場合は明治20年以降なので、墓石も戦前の個人墓から、戦後の家で1つの墓に移行して、亡くなっても1つ1つ墓石を建立することが無くなりましたので、墓石が世代で大きくなったり小さくなったりはしませんが、江戸時代のお墓の場合はその傾向が分かる場合があります。

 

家の場所からも判断してみる

上記の①~⑤の墓ですが、今度は家の場所を確認してみます。

 

住所は電話帳から確認出来ますし、場所はネットで検索すればすぐに判明します。

 

その結果はこのようになりました。

1の方が山沿いの付近で、2から5だと思われる家は下ったところにあります。

 

江戸時代は稲を作るときには、山の上の方が水利権を獲得しやすかったと思われますので、ここでも1の家のほうが本家の家の可能性が高いと思われます。

 

旧土地台帳から土地の所収面積を調べてみるのもいいかもしれません。

 

ただし、家には隆盛がつきものです、大変繁栄していた本家も跡継ぎに恵まれずに没落するケースや、分家でも才覚を持った人物が現れて1代で財を為すということもあります。

 

また、本家が断絶した為に、分家が本家的な役割を果たして、いつの間にか、総本家の地位になったなど。

 

明治以降と戦後に村の長男は学問を身につけさせる為に都会に行かせることがありました、特に村でも富裕者層はその傾向が顕著でした。

 

そうなると、本来であれば長男が家督相続しておりますが、村にはおらず都会で生活しその子孫も都会で生活をします。

 

代わりに、次男、三男などが、家を守り墓守をしていくと、こちらの方が本家的な役割をする場合も多く発生しました。

 

結果的に次男や三男などが本家になるということもあると聞きます。

 

お墓の位置からその家の立ち位置が分かるだけでなく、他にも想像を巡らすと面白いと思います。

 

●分家した家はいつ頃したのか?

 

●いつ頃から当家はこの村で住んでいるのか?

 

●分家はどの位の軒数増加したのか?

 

【まとめ】

●共同墓地のお墓の位置で家の立ち位置が分かる。

 

●基本的には上にあるほど、本家だと考えられる。

 

●場所だけでなく、お墓の古さも調査する、古いお墓や自然石が多数あれば、かなり昔からの家だとも考えられる。

 

●同姓で家紋が違う場合でも、同族の可能性があるので確実に調査を行う。

 

●本家が断絶して分家が本家の役割をしているケースもある、家の隆盛は必ずある。

 

公開日2020/03/21

更新日2021/08/08

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