はじめに
先祖探しの醍醐味は調査を進めていく過程で1つ1つ新発見があり、それを繋ぎ合わせた時に大きな成果が表れることです。
1つ1つは小さな発見ですが、その小さなパーツを積み上げることで大きな発見があり、また謎も増えることとなります。
この過程を楽しむことが重要となり、壁があらわれた時にも乗り越える原動力になります。
さらに、先祖探しが1人の力でやれるには限界があり、協力者の力が必要だと感じることもできます。
ここでは、ある家系調査の事例研究として記します。
出会い
とある家系調査を行うことになりました。
ある公民館主催の地域セミナーで山城登山があり、そこに参加したのがきっかけです。
その公民館のある場所が私の先祖と同じ苗字の人物が住んでいた場所で、中世には国衆としてある程度の勢力を持っており、昔から興味がありました。
また、その地域は母方先祖の住んでいた場所でもあり、昔から親しみのあった場所でした。
母方先祖の墓。
整然と並んでいる。
家紋。
丸に杏葉
平成5年当時この墓に伺い、当主の方と話をしたことがあります。
その時に当主のお母さまから「当家は●●家とも親戚らしいと伝承もあります」と言われたことが印象的でした。
この●●という苗字はかなり珍しく、市内ではない人間は読めないと思います、しかし、市内の人間は普通に読めます。
なぜなら、市内の地名としてあるからです。
しかし、その地名とこの度調査をする場所は数十キロも離れており、どうしてこの地域にこの苗字の人間が多く点在しているのか?
逆に、地名の場所には1軒もいないのが不思議です。
お城巡りに参加
※この城自体は私の先祖にも●●氏の先祖にも関係ありません。
このお城めぐりで偶然にも●●氏の子孫の方がいらっしゃいました。
当初は先祖に関して特段興味が無いのかなと思いましたが、よくよく話を聞くと、自宅に古文書なども保管しているらしく、古い書物や戸籍などもあるようでした。
そこで意を決して、自宅に伺うことが出来ないか?を確認すると快諾していただき、山城散策の後に自宅に伺う事に。
そこには多くの資料(主に明治以降)や古文書、戸籍謄本(明治19年版)などがありました。
先祖が明治時代頃には地元の名士で尚且つ商売をされていたこと、勉学熱心な方が多く、日記なども多く保管されていたこと。
以上のことでおぼろげな先祖のことが分かっていたようです。
既に判明していることとして。
①先祖は戦国大名に仕えた国衆で石高も1000石国以上だった。
②主家が関ケ原の戦いで敗れ移封、●●氏はそれ以前に現在の場所につてを頼り移住。
※本貫地は弟に相続させる。
③弟は●●氏から改名する。
④以降江戸期を通じて村では●●一族が繁栄したが、その家の分家として当家がある。
⑤しかし、本家の当主は早世しており跡継ぎも養子だったり、離婚してその子供も東京にいったりして本家は無くなった。
⑥戦国時代の最初にすでに●●氏も兄と弟に分かれており、兄の系統は戦前に家財を売り払い別の場所にいく。
⓻自宅には由来書もあり、江戸時代中期以降のことはほぼ判明。
正直ここまで判明しているのであれば、あとは整理していけば確実に判明するのでは?と思っていました。
問題点
課題や問題としてあげられるとすれば
①系図やデータベースなどが無く、紙ベースでの保管。
②この地域には●●氏が多数いる、同族であるはずだが、皆苗字が同じで親戚ではないと思っている。
③この●●一族の中でも断絶した家、引っ越した家なども含めて総合的に調査を行う。
などがあげられます。
第1段階
まずは、現在お持ちの資料をデータで送っていただくようにお願い。
具体的には戸籍 家系図、古文書、地図、由来書、などです。
これらのやり取りを毎日行い、約1か月位で家系図を作成。
位牌やお墓の調査がセオリーですが、1800年代頃までの先祖が判明しているため、その頃の家系図はすぐに作成出来ました。
このタイミングで私の先祖と繋がりのある家系図や由来書があるかと期待していましたが、全くといっていい程出てきませんでした。
唯一大正~昭和初期に私の先祖と同姓の方が記載されていたのみでした。
残念ながら、先祖との繋がりは見つけることは叶いませんでしたが、「調査した結果繋がりを証明するものは発見できなかった」という結果は分かりました。
第2段階
さて第2段階ですが、ここからは同姓で遠戚だとは伝えられているがどこで分かれたのか不明の方へのアプローチです。
当然私の先祖ではありませんので、自分がガツガツ調べるものでもありません、当主の方と一緒に伺い、調べていくこととなります。
付き合いがある家ですので、電話連絡をしてお墓を確認させていただくことに。
遠戚のお墓。
先祖探し実例①
お墓は山の麓にある場合も多い。
共同墓地は明治20年以降の場合が多くあり、それ以前からお墓がある場合は山の麓や中にあるケースもある。
この場合は先祖の住んでいた周辺の墓地を探しても発見できないことが多い。
この墓の調査で初代の人物が判明して現在の当主が7代目だということも判明。
先祖探し実例②
当主が先祖に興味なし
この家の当主は7代目のようですが、特段先祖に興味があるようではありませんでした。
お墓に掘っている戦後に亡くなった方を確認しても続柄不明、ましてや先祖が何代目かもご存じないようでした。
この状態ですので、位牌の有無などの確認をしても良く分からないで終了。
先祖探しの関門である、当主が興味なく情報を得ることが難しいという案件でした。
しかし収穫もありました。
この遠戚の家の家紋も「丸に杏葉紋」でした。
やはり、私の先祖の家と家紋も同じであり、何かしらの縁があるのではないかと胸がときめいた次第です。
実はこの●●家の本家の家紋は「丸に杏葉紋」ではありません。
この家紋が●●一族総本家の家紋となります。
何故「丸に杏葉紋」なのか謎は深まるばかりです。
また、この周辺には古い墓も多く、歴史的な遺産も多くあり歴史好きの私にはたまりませんでした。
点在していた墓を1つにまとめたもの。
その他にもこのような墓の残欠が所々に点在している。
先祖探し実例③
調査しようと躊躇していたら亡くなる
先祖探しあるあるの1つに先祖探しをしようと遠戚に確認しようとすると、僅かな差でその遠戚が亡くなるということがあります。
今回の例では前述した7代目の当主の母がコンタクトを取った2か月後に亡くなりました。
仮に話が出来ることが可能であれば、少なからず情報を得る事も出来たに違いありません。
古い事を確認するには古老に確認することが一番です。
50代より70代 70代より90代 と出来るだけ年配の方の話を聞きましょう!
お話を聞けるのであればまず真っ先に話を伺うことをお勧めします。
第3段階
第3段階になってくると、同姓であるがその関係が不明な家を調査することになります。
本来のセオリーであれば、同姓の方に手紙を書いて伺う、遠戚や地縁の関係で紹介していただき、話を聞くということになります。
しかし、今回の場合は私の事ではなく、あくまでも●●一族の子孫が調査をしているため、深入りすることは避けます。
再度詳細に確認をしていくと、どうも●●家の墓が山の中にあったりお寺の墓の中にあったりするとのこと。
ここで同姓の墓の調査から●●家を探っていきました。
あまり掃除もされておらず、苔むしている。
立派な墓があるが、墓参りもされていない。
この墓の家紋を確認すると
「丸に杏葉」ではなく「丸に抱き茗荷」になっていました。
先祖探し実例④
家紋が変更されている
本家や近い一族の●●家の家紋。
分家の家紋。
さてなぜこのような事があるのか?
きちんとした理由があり変更した場合や分家をして後年家紋を作成する時に誤って家紋を変更された。
特に杏葉と茗荷は家紋に類似している点も多く後年墓を建立した時に誤って茗荷紋になった可能性も否定できません。
若しくは、当主がその意思のもと変更したという可能性もあります、今となってはそれを証明することはできません。
私の家の家紋も剣方喰から松皮菱に私が変更しました。
理由は発祥の地の一族と同じ家紋にしたかったからです。
この段階で分かる限りの●●家の墓で悉皆調査を行い、墓石に掘ってある名前を一旦家ごとにエクセルにてデータべース化します。
続柄が分かる為、家系図を作成。
そうすると、同姓であったが、現在ではその関係が不明であったものがパズルのピースが合うように次々とはまっていきました。
この瞬間が先祖探しをしている時の喜びの時です。
結果は
①不明の●●一族は江戸時代末期に生まれた兄弟の子孫である。
②伝承ではあの家は当家とは関係ないとあったが、実際には明治初期生まれた兄弟が大きく繁栄していった。
③現在の当主はすでに70代であり亡くなっている方も多いし、子どもがいない方やここに住んでいない方ばかり。
④昭和30年代や40年代で切れた家もあり、おそらく断絶したものだと思われる。
自分たちの高祖父が同じとかであれば通常の家では分からないと思います。
当主があそこの家とは血縁関係が無いと云われても鵜呑みにはできないのが先祖探しです。
第4段階
この地域での家系に関しての墓石調査は完了しました。
まだつながりの分からない系統もあったり、そもそも最初に紹介していただた家や本家の家、分家の家が明治時代でどの位あるのだろうか?
他にも不明なだけで実際にはもっとあるのではないか?
戦国時代にすでに分かれたとされる長男の系統が全くでてこないが実在したのであろうか?
と謎が深まるばかりです。
そこで活躍するのが旧土地台帳になります。
先祖探し実例⑤
旧土地台帳も忘れずに確認する
朝一から法務局に来てます!
知人の先祖探しのため旧土地台帳閲覧してます
膨大な資料をコピーするので3時間待ちです。
でもワクワクドキドキするので苦痛ではありません! pic.twitter.com/QmKezT6v70
— 先祖探し 悠久の時を越えて (@gosenzo2) June 10, 2022
当然村一村丸ごとの確認になりますので気合と根性で閲覧することになります。
そしてコピーしてもらい自宅でデータベース化
昨日の旧土地台帳でうが、朝一からデータベース化して今やっと完成しました。
300枚以上あったので大変でしたが色々分かりました
①今調べている家は分家であるが本家よりも豊かである
②本家とは別にもう一家裕福な家があった
③子孫が不明な家があったが、住所が九州だった沼にはまりそうです。 pic.twitter.com/difPaiFS4L
— 先祖探し 悠久の時を越えて (@gosenzo2) June 11, 2022
丸1日かけて全てを入力実施。
結果
●一番最初に紹介された家と本家ともう一軒が15~16反持っており土地持ちであった。
●他の一族も若干の土地を持っていたが2~6反程度であった。
●土地を持てないものは明治後期には地元から離れていた。
●不思議な事に総本家の方はほとんど土地を持っていなかった。
第5段階
第4段階で概ね現地調査としては完了となります。
次に地元の郷土史家の方に、●●家の方で知っている方がいないかを確認、紹介していただきました。
先祖探し実例⑥
郷土史家は大きな味方
郷土史家は長年その地域を調査しております、またそもそも地元の方が多く、地元の人脈も多いです。
そんな郷土史家の方に●●家を調査しているが、お知り合いに●●さんいませんか?と確認したところ、当郷土史の会員に●●さんいますよとの返答がありました。
そこで●●さんを紹介していただくことに。
この方も郷土史が好きな方で●●家の事を何か伝えられていますか?と確認すると、多くの資料があるとのこと。
後日お会いして、必要な資料を貸していただきました。
結論、前述した7代目の家の分家にあたることが判明しました。
確認すると、江戸末期生まれの先祖が兄弟だったことが判明。
ここで郷土史家に連絡しなければこのような結果にはなっていませんでした。
そして、この郷土史から紹介された●●さんが新たなストーリーを紡ぐ!!!
第6段階
郷土史家の方に紹介された●●さん、実は市内のこの●●という地名の公民館の郷土史会にも所属。
ないかご存じないか確認すると、江戸時代のお墓があるらしく現地調査実施。
結果本当に江戸時代の墓がありました。
本日は例の先祖探しをしている方の現地調査です。このお墓はは江戸時代のものですが、江戸時代にここにこの苗字の方がいたことが新発見です。
伝承では改姓したとあったので、江戸時代初めにはもうこの苗字は無いと思っていましたが、明治時代まではいたようです。
誰も管理していないのが寂しいです。 pic.twitter.com/ULPaOaZcPE— 先祖探し 悠久の時を越えて (@gosenzo2) June 12, 2022
さらに、郷土史会の会長であれば、戦国時代に分家してこの土地を守った一族の事も分かるのではないかと確認。
結論は「戦国時代までの●●氏は分かるが、江戸時代以降の子孫はどの家か知っているが詳細はよく分からない」とのこと。
ここで終了しました。
しかし、ここで諦める訳にはいきません、会長の紹介で子孫の方の住所を教えていただきアポなしでピンポン。
出てきた方に事情を説明すると、家系図があるとのことで確認させていただきました。
更にその方の紹介で詳しく調べている方を紹介していただき更に伺うことに。
後日資料のコピーをいただき大きく進展。
本日資料を頂きました。
大量の資料でした。
市町村史
過去帳
戸籍謄本
家系図
由来書
他の資料のコピーなどでした。
さあ今から纏めていきます!!! pic.twitter.com/5aOdA9mLZH
— 先祖探し 悠久の時を越えて (@gosenzo2) July 2, 2022
戦国時代に分かれた一族の家まで分かり感激しました。
このような家があることは私が高校生の時には分かっていました。
地元の歴史書に記載されており、墓などもあるようなので歴史好きの若者としては子孫の家に伺い話をしてみたいなと思っていましたがなかなかチャンスもありませんでした。
しかし、ずっと心の奥に「先祖調査してみたいな」という気持ちを持ち続けると30年後にまさかの子孫に出会えることになり感無量でした。
先祖探し実例⓻
心に先祖探しの気持ちを持っていれば何十年後に分かることもある
先祖探しはライフワークになります、戸籍や位牌、墓の調査であれば数か月もあれば完了します。
しかし、調査して1つ判明すれば、1つ謎が生まれます。
いろんな謎もあり時にはこれ以上は無理ということもあります。
若しくは自分自身のモチベーションの低下で一旦お休みすることだってあります。
毎日毎日新発見がある訳でもありませんし、ほとんどの事が分かればそれ以上深掘することも難しくなってきます。
しかし、そこで何もしなくなるか、心に先祖探しの気持ちを持ち続けるかで将来の成果も変わってきます。
まずは、気に留めておくことが重要となります。
第7段階
現地調査も完了したところで、次に文献調査も行います。
国衆の事ですので市町村史などに記載されることは少ないかもしれませんが、それでも様々な文献を調査していくと僅かな記載でも出てくることがあります。
市町村史だけでなく、大日本古文書などに記載されていることもありますので、幅広く確認します。
といっても、素人場合は何を調べればいいのか自体が分かりません。
このような場合は、地元の県立博物館や大学などに確認メールを送ってみるのはどうでしょうか?
特に博物館の場合はメールアドレスもありますし、質問コーナーなどで質問できることもあります。
大学の場合は教授のアドレスは分からないこともありますが、代表にメールをして教授に質問したい旨と質問内容を送付することで返信があるかもしれません。
上記は確実性はありませんが、少しでも糸口を掴むための行動だと思ってやってみましょう。
他の詳しい方を紹介していただける場合もあります。
ここで重要なのは今まで調べた事を記載(長文にならないように)して本気で調べていることを示すことです。
相手も人です、一生懸命に取り組んでいれば誠意が伝わり、回答を得る事も出来るかもしれません。
私の場合は、大学教授とのやりとりの中で別件ですが、お会いして実際にその地区の墓石調査をするお手伝いをさせて頂きました。
第8段階
諸々の資料収集やデータベース化、古文書調査や専門家の意見を聞くなどをしたら、今まで温めていた最終レポート作成を実行します。
レポート作成の注意点として、文章だけにしない、地図、風景、墓の写真、エクセルの図表、古文書の画像などを文章の合間に挿入することで見やすいように工夫します。
本格的に実施したらWordで50ページから100ページ位になります。
何回か推敲して表も整えて最終PDF化して今まで調査に協力して頂いた方にメール送信して完了となりました。
後日談
それからしばらく経過してから、新発見がありました。
実はこの希少姓の苗字が関ケ原で移封された地域の士族の表に記載されていました。
つまり、
戦国時代に「とある村に移住した家」と「その場所に残った家」とは別に「関ケ原の戦い以降に殿様と一緒に移封した家」があるということです。
更に調査対象を広げていく必要性が出てきた次第です。
やはり、先祖探しに終わりはありません。
終わったと思えば次の謎が出てくる、しかし、その謎を解く時に一番知的好奇心が満ち足りる時でもあります。
公開日2022/09/03