はじめに
明治19年戸籍には母親の名前が記載されていない事が多いです。
原因は明治19年式戸籍の書式に母親の記入欄が無いからです。
「戸籍取扱手続」明治19年10月16日内務省令第22号より
戸籍を請求した場合、明治19年戸籍が一番最古の戸籍になるため、母親の名前が記載されていなく残念な結果になる場合も多いです。
しかし、この方が、長生きをして子どもや孫の戸籍に記載されていた場合は、次ぎの明治31年戸籍や大正4年戸籍に追記されている可能性があります。
直系尊属が記された戸籍は入手できますので、「死亡記載のある戸籍もお願いします」で問題ありません。
問題は、自分の先祖が分家で離れた場合で、本家など傍系の子孫に記載されている場合です。
基本的には傍系の戸籍は取得出来ませんので、傍系の方に委任状を頂き請求することになります。
そのやり方で実際に母親の名前が発見出来ることがあります。
難易度は高いですが、先祖の兄弟の子孫を全て確認していくと、その一人が非常に長生きで、明治31年や大正4年に戸籍に記載して母親名が追記されている場合もあります。
また、昔は、従兄弟夫婦など親族間での婚姻も多かった為、戸籍をよく確認すると、実は別の系統から遡っていくと発見できたといったケースもあります。
私の例
直系先祖を遡っても母親の名前は出てこない。
しかし、別の家系から遡っていくと記載されている戸籍を発見!!
寅市は文政9年(1826)生まれです、重右衛門の長男となっていますが、すでに重右衛門は亡くなっており、戸籍からは母親の名前を知ることが出来ません。
しかし、この重右衛門の長女であるスナは天保元年(1830)生まれで、嫁ぎ先の孫の戸籍に記載されており、長生きした為に戸主の「祖母」として記載、明治31年戸籍に母親として「ヌイ」が記載されていました。
ということで、寅市の母親が「ヌイ」と発見出来ました。
※寅市は明治23年に没で追記されていませんが、スナは明治44年に亡くなっていた為に母親の名前が追記されていました。
このように1人1人の兄弟姉妹の戸籍を確認すると、長生きをした方には母親の名前が記載されているケースもあるので、1つ1つ丁寧に調べることが重要になってきます。
昔は、子どもも沢山いました、また男性は養子に女性は嫁や養女に行っていることが多いです。
今では疎遠になっている方も多いとは思いますが、子どもが多いからこそ、長生きをされた方の中に万が一でも表記されている可能性があります。
1系統1系統を丁寧に確認していきましょう!!!
昔の事なので、古老などに「どこと親戚関係なのか?」「どういった親戚関係なのか?」などを確認する必要がありますが、その情報が有るのと、無いのとでは、後の進展に大きく差が出てきますので重要になってきます。
もう一つは母親不詳で請求することです
明治19年戸籍では戸主が兄の場合があります。
父親が隠居している場合はいいのですが、父親の名前の上に「亡」がある場合は明治19年当時に既に亡くなっているということになります。
兄の戸籍は傍系になりますので請求できません。
しかし、ひょっとしたら母親は兄の戸籍に記載されているかもしれません。
図で表すとこのようになります。
具体的なやり方
この場合請求する戸主を鈴木次郎にして、欲しい人物を鈴木次郎母(不詳)で行ってみる方法があります。
●山田花子の戸籍には父親の鈴木一郎は記載されています。
●山田花子は戸主である鈴木次郎の戸籍から嫁ぎ除籍されていることもはっきりしている。
●つまり、鈴木次郎の両親は鈴木一郎と母(不詳)は断定出来る。
●鈴木一郎の戸籍に母親として記載さえていれば、それは山田花子の母親と断定できる。
●よって鈴木次郎の戸籍の取得が可能。
※直系尊属である、山田花子の母親が戸籍に記載されているので。
ただし、これは母親がまだ生存しており戸籍に記載されている場合です。
それでも役場で請求が出来なかった場合は以下の方法で確認しましょう。
【まとめ】
●明治19年戸籍では母親の名前が不明な場合がほとんど。
●しかし、明治31年や大正4年戸籍に追記されていることがあるので、子孫の戸籍を1つ1つ確認していけば長生きしている方の戸籍に「母親」として記載されている可能性がある。
●また、昔は従兄弟で婚姻している場合もあるので、自分の別の系統の直系尊属を遡ると行き着く場合もある。
●また、戸主が兄でそこから嫁いだ場合も「戸主」を兄にして、請求する人間を「母親」にして戸籍請求をしてみる。
●嫁だけでなく、分家や養子にいった男子も同様に可能。