戸籍で最古の年号
戸籍で最古の年号って興味ありませんか?
戸籍で遡ると古いもので天保などがあります、坂本龍馬が天保6年(1835)生まれですので、その頃に生まれた先祖となります。
この200年位の年号を記載すると、以下の様になります。
天明1781-1789 天明の飢饉。
寛政1789-1801 寛政の改革。
享和1801-1804 享和元年(1801)本居宣長死去。
文化1804-1818 文化6年(1809)島津斉彬誕生。
文政1818-1831 文政6年(1823)勝海舟、文政10年(1827)西郷隆盛、文政13年(1830)大久保利通誕生。
天保1831-1845 天保8年(1837)徳川慶喜、天保12年(1841)伊藤博文誕生。
弘化1845-1848 弘化4年(1848)東郷平八郎誕生。
嘉永1848-1855 嘉永5年(1852)明治天皇誕生。
安政1855-1860 安政の大獄。
万延1860-1861 万延小判の発行。
文久1861-1864 文久2年(1862) 新渡戸稲造、森鴎外誕生。
元治1864-1865 元治元年(1864)池田屋事件 禁門の変。
慶応1865-1868 慶應3年(1867)高杉晋作、坂本龍馬死去。
この辺りが基本的には古い年号の記載された人物で一般的な先祖になります、天保以降は多くの先祖が記載されていますが、稀に戸主の祖母などが非常に長生きした場合などで文化、文政年間のご先祖に出会えることがあります。
文化元年=1804年
明治19年(1886)戸籍当時ですでに82才と長寿になりますが、稀に文化の年号が記載されている先祖もいます。
文化7年(1810)の年号が記載されてある戸籍。
更に遡り享和年間(1801 ~1803)になってくるとなかなかありません、このような場合はよほどの長生きだと思います。
私の先祖の大叔父にいましたが、稀なケースだと思います。
享和2年=1802年でかなり古い戸籍になります。
このような稀なケースがありますので、自分の取得している戸籍を確認してみましょう。
この戸籍ですが記載をよく見ると、「年月日及び場所不詳死亡届出為ス者ナキ付~~」と、大正6年に裁判所の許可を得て除籍されていました。
つまり、明治19年当時(若しくは明治5年当時)にはこの方は既に本籍地にはおらず、どこかで失踪していた可能性が高いです。
明治5年=1872年ですので、この当時で既に70才です。
どこかで亡くなっているかもしれませんし、この家では大叔父として記載されていますが、実はもっと昔に出稼ぎとかで家から離れており、壬申戸籍が作成された時に別の場所で戸主となっているかもしれません。
詳細は分かりませんが、この家にはいなかったということだけは判明しています。
最古の年号
享和の前は寛政(1789~1800)になりますが、流石に戸籍で遡れる限界はこの辺りではないでしょうか?
※一部加工しています。
この戸籍は寛政8年(1796)記載のある戸籍です。
明治19年当時で90才ですので、ギリギリ最古の年号としてあるものだと思われます。
明治22年に亡くなっていますので、本当に奇跡的に残っている年号だと思います。
更にその前の天明年間(1781~1788)の年号が記載されたものは見たことありません。
しかし、天明8年(1788)の場合は明治19年当時で98才ですので、当時日本で一番長生きをしている方で、尚且つ戸籍の廃棄をされていない場合は、日本中のどこかには天明年間の記載がある明治19年戸籍が存在しているかもしれません。
昭和38年(1963)には100才以上はたったの153人しかいませんでしたので、その約100年前の明治19年には日本でも数える位しかいなかったと思われますし、いなかったかもしれません。
但し、上記の「年月日及び場所不詳死亡届出為ス者ナキ付~~」という方が明治19年に記載された場合はひょっとしたら天明の記載のある戸籍があるかもしれません。
天明の年号の記載がある戸籍を持っている方がいればご一報下さい!!!
まとめ
●江戸時代の年号の有り戸籍は普通にある。
●天保あたりの年号までは一般的に取得できる可能性が高い。
●更に遡り、文化文政年間の年号がある戸籍も先祖の中で1人、2人はいると思われる。
●流石に享和や寛政年間の年号が記載されてある戸籍はほぼないが、世の中に存在はしている。
●理論上は天明年間の年号が記載されている戸籍もあるかもしれないが、まだ見たことは無い。