石井家
石井家は私の高祖父にあたる横田勘蔵の実家です。
勘蔵は石井惣三の三男でしたが横田家に婿養子に行きました。
大学時代に石井家を電話帳で調べたらこの周辺に40軒以上あり、そこで面倒になりやめました。
その後、ある書物で、この石井家が戦国時代には地在の豪族であったことがわかりました。
石井一族がこんなにいるのも仕方ありません。
2003年に友人の先祖探しで感化されて、もう一度さがしてみようと思い立ち、
まず、電話帳で調べた石井さん40軒に手紙をかいたら、5~6件返事があり、わからないとのことでした、
その手紙のなかにはこの場所に住み始めたのは自分が始めてだという方が多くいました。
この地域は田舎でありおかしいなと思いましたが、大学が移転してきてベットタウン化していった為にこのような事になったと後から気付きました。
つまり、現在は住宅街で昔からの石井さんもいれば、全然ゆかりのない石井さんも多く存在しているということです。
また、返信の内容には「当主が亡くなって10年経っていますので、分かりません。生きていれば分かったかも知れない」というものでした。
ここでも大学生の時にすればよかったと後悔しました、一応これで調査は終了しました。
勘蔵は私の高祖父になります弘化2年=1844年生まれです、その義父派は文化3年=1806年生まれですので、勘蔵の実父も1810年頃には生まれて1870年頃に亡くなっていると推測されます。
明治19年版の戸籍で戸主で石井惣平は存在しません。
その息子の戸籍に父親として記載されている場合は可能性としてありますが、役場は父親として記載している戸籍は発行して頂けません。
石井家の調査で難しい点
●明治19年当時既に亡くなっている。
●明治19年戸籍で番地が特定出来ない。
●石井惣平の子ども(長男、二男)の名前が分からないので、旧土地台帳でも追えない。
●手紙を書いてもベットタウン化しており、新しく住み始めた石井さんも多くいる。
●名字が全国的に多い為調査を困難にしている。
学んだこと
●町に住んでいる先祖を探すには非常に難しいものがある。
※同姓でも昔からすんでいる人と新しく住んでいる人がいる。
●全然つてがなく手紙を書くと、返信率も低く先祖を探せない。
※探すには関連している人物を手紙の中に記載することが重要。
●また明治中~末に亡くなった人物が先祖だったら比較的探しやすいが、明治20年以前に亡くなっている先祖は、探すのが困難になる。
●明治の中~末に亡くなった人物は現在生きている当主の祖父か曽祖父になり分かりやすいが、明治初期になくなった人物はさらにもう一代遡っているので覚えていない方が多い。
※よほど先祖に興味がある人以外は知らない。
●明治初期ではまだ墓が自然石の場合も多いし位牌がない家も多いので、伝承がしっかりされている家以外は歴史の中に埋没して分からなくなる。
●やはり、生きている方がいる内に手紙を書くほうがいい。
※先祖探しは急いで生きている方へ会うのが一番情報を得やすい。