城データ

城名:城の辻

別名:無し

標高:22m

比高:17m

築城年:不明(戦国時代か)

城主:水戸氏

場所:山口県宇部市東須恵

北緯:東経:33.986119/131.202408

城の辻はここ

 

攻城記

道路から看板が見えた為急遽確認を行う。。

三戸氏がいたらしい。

比高は20m弱で城というよりも館か。

今は畑となっている。

当時は前方に見える場所は海であった。

 

位置関係

 

全国Q地図MapLibre版より【辻の城】

 

地形図(大正11年当時)

国土地理院サイトより

 

航空写真(昭和22年当時)

国土地理院サイトより

 

当時の海岸線

海岸線の城で監視できる最適の場所だったことが分かる。

『宇部市史』より参照

江戸時代に埋立らたのが分かる。

 

城の概要

「城の辻」三戸氏の館跡 この上の高台「城の辻」には、三戸氏の館 があった。

 

三戸氏の来歴は不明だが「切寄 要害」と呼ばれ、須恵の地の守護に当たって いた。

 

当時は開作前で、広く海が見渡され、 監視の適地であった。

 

木戸・刈屋を襲った海賊を撃退したり、 大内氏が挽回を目指して攻め寄せてきた時 には厚東郡内で奮戦、功を挙げた。

 

家来達 は笛田池の北の台地に居住していた。その 関係の石造物が今も点在している。

 

なお、三戸氏は一六二五年に大嶺に移封 され、一部は中野に残り、帰農したといわれ ている。

 

厚南郷土史研究会 二〇一七年 五月

 

城の歴史

詳細不明

大内が挽回をすることが記載されているので、厳島の合戦1555年から大内氏滅亡の1557年の2年間のどこかであった可能性がある。

 

城主家系図

城主(一族)石高

長門国厚東に所領があるのは以下の三戸氏

三戸 新三   40.172石(すべての所領が厚東)

三戸 豊前   103.796石(内93.614石が厚東)

三戸 包兵衛  73.209石(内40.167石が厚東)

三戸 市之丞  92.450石 (すべての所領が厚東)

 

豊前守が元貞だと分かる。

 

三戸氏について

三戸氏は『萩藩閥閲録』巻56 三戸平左衛門に記載さえている

須恵の内で「切よせ」という要害にすんでいたことが分かる。

これが辻の城か。

 

 

海賊がきて撃退したことが分かる。

 

所感

①三戸氏は毛利元就公に仕えたとあるが、近隣の松江神社では

「当郷所司代三戸佐渡守有次が寛正乙酉6年(1465)これを薬師山(壁田)に遷座して社殿を建立した」

とある。

そうなってくると元就公に使える前にはこの地に三戸氏がいたことになる、

 

②城の遺構は全く確認できなかったが、この地から眺めると、当時海だった頃が想像できる。

 

③地元の郷土史会の方が看板を立てているおかけで判明した城。

 

参考URL

松江八幡宮

 

参考文献

『日本城郭大系』13

『山口県の地名』

『山口県地名大辞典』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

 

 

公開日2025/05/05

ホームに戻る

攻城一覧

 

 

Copyright © 山城攻城記 All Rights Reserved.