城データ
城名:空城
別名:空が城
標高:54m
比高:50m
築城年:中世か
城主:白井氏に関係する人物か
場所:広島県安芸郡府中町
北緯:東経:34.383953/132.508659
攻城記
城があったが遺物は無いらしい。
現在はグランドとして整備されており雰囲気も無い。
反対側からみた風景。
整備されていないところ(特に加工さえている感じも無い)
ここからは黄金山(仁保城)がしっかりと確認できており、出城の可能性もある。
最高所の部分
草木が無ければ見通しも良かったと思われる。
矢野方面を望む。
位置関係
全国Q地図より【空城】
open-hinataより【空城】
当時空城の麓まで海であって、海上交通の監視の役割があったのかもしれない。
『芸藩通志』【●●城】
『芸藩通志』から一部引用。
千代城の付近にあった。
国土地理院航空写真
昭和14年当時
当時も山頂にはすでに耕作地があったように見受けられる。
城の概要
鹿籠山(鍛治山)の南西に位置し、この付近は中世、こごもり湾と府中湾に臨む要衝の地であったと思われており、
大永7年(1527年)大内義興方の野田兵部小輔合戦注文に「仁保嶋ならびに国府城詰口において・・・」の記載があります。
出張城主白井氏の支城ないしは物見詰所だったのではないかとされています。
芸州府中荘誌には「空が城」と記載されているのですが、礎石、遺構などの確認はされていません。
看板より引用
城の歴史
大永7年(1527)
大内義興方の野田兵部小輔合戦注文に「仁保嶋ならびに国府城詰口において・・・」の記載がある
当時この空城も出城や見張り城としての役割をしていたと思われる。
5月5日:大内軍,安芸府中城に白井備中守を攻める〔閥閲録18〕。
5月6日:大内軍,府中城西籠屋を抜く〔(県)譜録・真鍋長兵衛1〕。
6月21日:大内軍,府中城を攻める〔(県)右田毛利譜録1〕。
『広島県史』より
当時白井氏は安芸武田氏の傘下であったため攻撃にさらされたと思われる。
所感
●グランドとして整備されており、遺跡的なものはない。
●曲輪のようなものも全くない。
●しかし場所的に仁保城や矢野城方面が良く見えることから見張りの城としての機能は十分あったと思われる。
関連URL
参考URL
参考文献
『広島県史』
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『萩藩閥閲録』
公開日2025/07/20