城データ
城名:大迫城
別名:熊谷城
標高:346m
比高:60m
築城年:中世
城主:熊谷氏(天野氏家臣)
場所:広島県東広島市志和町内
北緯:東経:34.490903/132.692645
攻城記
ボロボロの看板当然大迫城の記載はない。
墓所から登る。
攻城開始。
なんと古墳を発見。
なかなか興味深い。
楽に直登。
頂上部分に到着。
ゴルフ場開発、また太陽光パネル設置で破壊されている。
位置関係
open-hinataより【大迫城】
余湖図【在りし日の大迫城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【大迫城】
城の概要
城跡は頂部の1郭とその周囲をめぐる2郭,その東下にある3郭,南と西の尾根続きを遮断する堀切からなる。
南側の堀切は上面幅約4m,底幅約3m,深さ北側で約1.5mで箱薬研形をしている。
出土遺物には皿状鉄製品,土師質土器(皿,椀,鍋)などがあり,室町時代後半頃のものと推定されている。
城主は天野家臣の熊谷氏と伝えられる。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
大迫城
内の隠地大門寺山にある。
熊谷城ともいい、天野氏の家臣熊谷平馬の居城と伝えている
『賀茂郡史』-中世武士編-より引用
城の歴史
詳細不明。
天野氏の家臣である熊谷平馬の城と伝えられている。
天野氏の中には熊谷姓の人物も家臣の中に何人かいる。
『芸備国衆家臣団一覧表』 村井良介より引用。
所感
●城の遺構は何も残っていないが発掘調査では室町時代後半のものが出てきている。
●城は尾根の先端部分で当時は街道を見張る城であったか。
●内村は石井氏の所領であり、弘治3年(1557)の所領替え以降に天野氏の支配地になってから熊谷氏が城主となったのかもしれない。
関連URL
近隣の城。
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
『賀茂郡史』-中世武士編-
『志和町史』
『賀茂郡古城史』
公開日2024/05/26