城データ
城名:玉留免城(たまるめんじょう)
別名:無し
標高:250m
比高:15m
築城年:戦国時代か
城主:不明
場所:広島県東広島市志和町志和東
北緯:東経:34.483623/132.676856
攻城記
玉留免城全景。
登り口が分からずにここら辺から攻城。
畑跡か。
登り口もあり登っていく。
上がり切ったところの削平地であるがどうも違う。
山頂部は平坦であるが、違うので城方向を探す。
やっとの思いで城域に到着。
比高は20m余りしかないが眺望は良い。
細長い曲輪。
下は急峻で攻めにくい。
降りたところから。
位置関係
open-hinataより【玉留免城】
余湖図【玉留免城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
城の概要
1郭は以前畑として利用されており,その時かなり破壊されているようである。1郭の東端には土塁が残るが,やはり北側が壊されている。
土塁より西側は1郭と同じ平坦面となっているが,聞き取り調査によると開墾の時に堀切だったところを土塁を壊して埋めたということである。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明。
天野氏に縁のある城か。
玉留免とは
生城山に行く途中に金玉水というものがある。
昔、神様が大晦日に金色の玉をお持ちあそばされ、白馬に乗ってこの権現滝(生城山に行く途中の滝で現在は枯れている)を下られ六日市玉留免の留められたという伝説あり金玉水は古来より湧き出し水。里人の喉を潤す名水。
所感
●城自体は削平地が1面あるのみの城、以前は堀切で分かれたいたらしいが埋めたらしい。
●しかし、麓との高低差があり、攻めるには難しい。
●眺望はよく、街道を監視する役割を担っていたと思われる。
関連URL
近隣の城。
参考URL
参考文献
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
『賀茂郡史』-中世武士編-
公開日2024/05/19