城データ

城名:辻堂原城

別名:無し

標高:180m

比高:20m

築城年:戦国時代か

城主:不明(宮川甲斐守か)

場所:広島県廿日市市宮内

北緯:東経:34.351204/132.275152

辻堂原城はここ

 

攻城記

麓には宮川甲斐守が腹切をした岩がある。

このことから、この城の城主は宮川甲斐守だったのかもしれない。

宮川甲斐守腹切岩

(廿日市市宮内字迁堂原2541-1 廿日市市史跡.昭和56年10月14日指定)

 

天文23年(1554)5月12日、毛利発は陶晴賢と断交し、吉田より兵を進め陶氏支配下の銀山城(広島市安佐南区)・草津城(広島市西区)・桜尾城や厳島を電撃的に占領した。

 

陶晴賢は直ちに山代(山口県東山間部)や山里(佐伯郡山間部)の土豪を動かし、宮川甲斐守房長を将として反撃に転じた。

 

同年6月初め桜尾城奪回の目的を持って、陶軍は廿日市の北西、折敷畑山付近(おりしきばた)や明石口に陣を敷いた。

 

毛利軍は桜尾城を本陣として、6月5日未明に陶軍への急襲を行い、この地域一帯で激戦が展開された。

 

陶軍は総崩れとなり宮川甲斐守房長は敗死し、毛利軍の圧倒的な勝利に終わった。

 

この戦いは「折敷畑(明石口)合戦」と呼ばれ、毛利氏にとっては厳島合戦の前哨戦で勝利した大変意義ある合戦であった。

 

『房顕覚書』には「陶内 宮川斐守 がハカリ カケホラ(崖洞)へ落死ニケリ」とある。土地の人は「この腹切岩の上で、宮川甲斐守は自刃した」と伝えている。

 

この辺りには戦死者を積んだという「小積」 とか、死者を葬った「仏坂」などの地名があり、合戦がこの一帯で行われたことは間違いない。

 

この腹切岩は折敷畑合戦や宮川甲斐守の戦死後の碑石と伝えられている。

 

平成8年11月

廿日市市教育委員会

 

麓の川。

登り口があるので簡単。

登っていく。

曲輪。

何段かの曲輪がある。

後世のものだろう。

下を望む。

本丸部分。

最頂部。

そこそこの高さ(麓の道は最近できたもの)

曲輪も特段変わったものではない。

麓から見上げる。

切腹岩まで戻ってくる。

上にも削平地がある。

削平地。

こちらの方面が本丸になる。

 

現在の辻堂原城

1960年代の辻堂原城

当時は尾根の先端部分にあった城。

 

位置関係

折敷畑山での合戦後に辻堂原城麓にて切腹。

 

余湖図【辻堂原城】

当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)

 

『芸藩通志』【甲斐社】

宮川甲斐守の甲斐だと思われる。

甲斐守を祀った社があったのかもしれなし。

 

城の概要

城は折敷畑山から南西に派生する丘陵最先端部に位置している。

 

現在県道廿日市佐伯線等により南北両側が削り取られている。城の遺構は,西から東にかけて階段式に郭を13段設けている。

 

最高所の1郭は墓地として利用してあり,25m×10m程度の規模と思われる。

 

石組も所々に見られる。城の南側に御手洗川流れ,天然の堀となっている。

 

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用

 

城主家系図

城主ではないかもしれない、また、房長以はこの地域に縁はない。

 

城の歴史

天文23年(1554):6月5日、折敷畑の戦いにて宮川甲斐守が戦死。

 

折敷畑の戦

ソノ後、六月五日、防州ノ警固船百バカリ當島ニ押シ懸クルトイヘドモ、城等ヲカマへ置ク間、島へ モ上ラズ、陸地ヨリハ山代衆、ソノ外防州衆二三千、平良、宮内ヘ打チ入ル ト見エシガ、陶ノ内、宮川甲斐守ハ馬ガハヤリ、ガケポラへ落チテ死ニケリ、彼ノ仁ハ、在京中船岡ノ合戦以来度々 高名セン人ナリ、両弓カケノ右ノ弓カケヲハズンタルバカリ、コレヲ見ル人カタマリテ、此ノ如シト沙汰シホメルナリ、

 

『棚守房顕覚書付解説』より引用。

 

『大日本古文書』家わけ14「熊谷家文書」129号より引用

戦いが6月5日にあったことを示す。

 

所感

●城は墓所にもなっており(現在はない)楽に本丸まで登れた。

 

●城の北に新しき道が出来ておりえぐれているが、この部分にも城域があったかもしれない。

 

●城の規模は小さいながらも、曲輪が多くあり、強固な城と感じられた。

 

●江戸時代の『芸藩通志』に甲斐社があることから昔からこの場所に祀られたと思われる。

 

関連URL

【広島県】宮尾城【廿日市市宮島町】

 

参考URL

宮川房長(ウッキペディア)

折敷畑の戦い(ウッキペディア)

 

参考文献

『棚守房顕覚書付解説』

『桜尾城とその時代』

『廿日市町史』

『日本城郭大系』13

『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』

『広島県の地名』

『広島県地名大辞典』

『広島の中世城館を歩く』

『萩藩諸家系譜』

『毛利八箇国御時代分限帳』

『萩藩閥閲録』

 

 

公開日2024/03/17

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