城データ
城名:丸山城
別名:無し
標高:233m
比高:183m
築城年:戦国時代か
城主:阿曽沼氏関連か
場所:広島県広島市安芸区瀬野南町
北緯:東経:34.416721/132.593368
攻城記
丸山城遠景
直登開始。
しばらく進むと、墓所がある。
ということは昔はこの辺りまで道もあったのであろう。
更に上を目指す。
途中みどり坂の団地を望む。
この場所にも「三ツ城」があった。
尾根上まで到着、あとは本丸に進むだけ。
最初の小曲輪。
本丸。
藪化もしておらず散策しやすい。
西方面に降りてみる。
西方面の曲輪。
何個かの曲輪が連続してある。
南の曲輪へ移動してみる。
堀切。
綺麗な堀切の跡が残っていた。
南方向の曲輪。
南方向にも数個の曲輪がある。
麓に降りてきた場所にある、五輪塔。
この地域の野武士の墓か。
前方の山は高城山であり、この場所にも城があるらしい。
位置関係
open-hinataより【丸山城】
余湖図【丸山城】
当時のイメージ図(余湖図コレクションより引用)
『芸藩通志』【丸山城】
城の概要
本城跡は、瀬野川東岸の丘陵の先端部に位置している、1郭の四周の尾根にそれぞれ郭を配している。
そこから南側にも堀切を挟んで三つの郭がある、連絡用の城としての機能が考えられる。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用
城の歴史
詳細不明、連絡用の城としての機能を有しているが、大永3年(1523)の尼子氏による、鏡山城攻撃時にこの周辺に緊張が高まったと思われ、当時この城も利用されたのではないかと考えられる。
近隣にも城跡群が多くあり、連絡用の城として伝達網を形成した見方もできる。
所感
●連絡用の城としては曲輪の数も多く、近隣の城のなかではレベルの高い城の印象をうける。
●北に目を向けると三ツ城跡があり、この周辺地域では一番の城で比高も高く、瀬野川の南北で連携していたのではないか。
●記録に残っていないため、城主等は不明であるが、麓に五輪塔もあり、当時の姿が偲ばれる。
関連URL
参考URL
参考文献
『広島市安芸区瀬野町・中野町所在 三ツ城跡発掘調査報告』
『日本城郭大系』13
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』
『広島県の地名』
『広島県地名大辞典』
『広島の中世城館を歩く』
『萩藩諸家系譜』
『毛利八箇国御時代分限帳』
『萩藩閥閲録』
公開日2024/02/23